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 今度ばかりは、檜山は上司に対して怒りを覚えた。仁科次長の胸倉をつかんで締め上げてやれたら、どんなにすっきりするだろう。

 今回檜山が担当しているプロジェクトは、ニッケイ物流の新しい社内融資システムで、パッケージを使って構築する。ニッケイ物流は、檜山の会社が基幹システムの保守を請け負う大口の取引先だった。

 約5カ月の開発期間は、パッケージを使うにしても短い。檜山は当初から、この開発期間の短さが最大のリスクになると見込んでいた。短期間の開発では、手戻りを起こしている余裕がないからだ。

 手戻りを起こさないために、要件定義と基本設計のフェーズで顧客との合意形成を丁寧に進め、変更管理のルールを厳格にするという作戦で、ここまで取り組んできた。

 上司である仁科次長も、このやり方には同意していたはずだ。それなのに、顧客から理不尽な変更要望が出たことを報告すると、要望はよく聞くようにと言い出したのだ。

「納得できません」

 檜山は、彼にしては珍しく激した口調で言った。

「短納期のプロジェクトなんです。もう基本設計は終わりかかっています。こんな大規模変更は危険です」

 仁科次長は、分厚い手のひらで、押さえつけるようなしぐさをした。

「落ち着け。変更に応じろとは言ってない。対面で顧客の意図をよく確認しろと言っているだけだ。必要なら俺も同行する」

 檜山には、次長が顧客の側に立って自分を丸めこもうとしているように感じられた。だから、素直にはうなずけず、食ってかかるような言い方になった。

「確認して、どうするんです? 結局変更やむなしってことになるんじゃないですか? 検討するだけでも工数がかかるんですよ。大口取引先だからって、特別扱いすることはないでしょう」

 仁科次長の顔も、次第に険しくなってきた。

「そんなつもりはない。顧客の要望を吟味するのは普通のことだろう」

「こんなの要望じゃありません。ちゃぶ台返しです。要件定義フェーズではちゃんと合意されたのに、今になって突然、災害貸付金制度注1もスコープに追加しろなんて…現在、あの制度の貸付残高はゼロなんですよ。対応の必然性もありません」

「そうなんだよな」

 仁科次長は、のんきな顔つきになって腕を組んだ。

「俺もあの制度はよく知っている。しかしなんで突然、人事担当役員の野本常務が言い出したんだろう?」

 不思議そうな顔なんてしている場合じゃないと、檜山は思った。スコープ外だった制度に対応しようとすれば、大幅な作り込みが必要になる。終わりかけている基本設計全域に影響することは必至だ。1カ月半かけた基本設計をやり直すとなると、到底、当初の納期を守り切れない。

 仁科さんには、そんなことも分からないのか?

「明後日のステコミ注2で、対応は無理だと宣言します。次長も出席してください」

「やめとけ、まだ情報不足だ」

「それでは、納期の調整を…」

 いきり立つ檜山に、仁科次長は厳しい言葉を浴びせた。

「短絡的すぎるぞ、檜山。何度も言うが、まずはお客様の要望をよく聞くことだ。それがプロマネの基本だろ。ルールだからってはね付けるだけじゃ、デク人形と同じだ」

 デク人形。この言葉が、頭の中でハレーションを起こして、檜山は唇をかんだ。

 それでも上司は上司だし、職場で暴力を振るうほど、檜山は野蛮ではない。納得できないまま、彼は引き下がった。無言で上司の前を離れたことが、せめてもの抵抗だ。

 頭の中では、金切り声が渦巻いていた。仁科さんに裏切られた。短納期だから、変更管理をしっかりすることには賛成だ。前にはそう言っていたのに。結局、次長は受注数字が大事なのだ。大口のお客さんとは、ことを荒立てたくないのだ。

 仁科次長は自分の味方になってくれる。そう信じ込んでいただけに、檜山の失望は大きかった。