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 新米パパの檜山に、ニッケイ物流でたたき上げで出世した野本常務は優しくなかった。

「今回のシステム刷新の目的は、福利厚生の充実やから、な」

 十分だけのアポを取って訪問した檜山に向かって、常務は言った。

「災害貸付金は、重要な制度や。これを取り込めへんかったら、な。プロジェクトの意味がのうなってまうねや。そやから、何としてもやってもらわな困るんやわ」

 あまり時間がない。檜山は必死で抵抗を試みた。

「はい。しかしあの、もともとのスコープには、ですね…」

 常務はいら立たしげに手を振った。

「そやねん。うちの澤木が、残高ゼロやし、そこは対象外や言うから、怒鳴り付けたったんや。お前、災害貸付金制度を何やと思うとるんや、とな」

 澤木というのは、ニッケイ物流の福利厚生課長で、今回のプロジェクトの顧客側責任者だ。新しい社内融資システムのスコープは、澤木課長が承認し、ニッケイ物流の役員会にも報告済みだった。ところが、今週になって野本常務が、社内制度がある以上、災害貸付金をスコープに入れろと言って横車を押してきたのだ。檜山は慎重に指摘した。

「はあ。ところがですね、災害貸付金は他の制度とは違いまして、物価指数スライド金利注3だとうかがっております」

 野本常務はうなずいた。

「災害対策費用という性格上な、これは従業員とその家族が、安心して使えるもんでないとあかんねや、な」

「なるほど。しかし、金利計算の設計をすべてやり直すとなりますと、これは期間内では…注4

 野本常務は、白い綿毛のような眉をぐいと上げた。

「檜山はん、あんた、組合には入ってはる?」

 檜山は、一瞬絶句した。どうも、こちらのペースで話が進まない。こんなことなら、意地を張らずに仁科次長に同行してもらえばよかったか。いや、あんな弱腰オヤジの支援なんているもんか。檜山は、勇気を振り絞って答える。

「あ、はい。弊社の従業員組合に入っていますけど、それが何か?」

「家族はいてはるの?」

「はい、妻と娘が」

 常務は、ひらひらと右手を振った。

「そやったら、あんたにも分かるやろ。コストがどうちゃら、開発期間がどうちゃら言うのは、そらあんた、会社の立場や。会社の理屈や。組合や従業員から見たら、そんなん関係ない。自分たちの生活の安心がすべてなんや。違うか?」

 檜山は、同意せざるを得なかった。

「た、確かに」

「そやから、理屈やのうて、何とか案配してや。頼んますわ」

 野本常務は立ち上がって、背広に腕を通した。それは、時間切れの合図だった。

 檜山は、ほとんど何も主張できなかった欲求不満を抱えて、ニッケイ物流の常務室を辞した。

<挿絵:大久保 友博>
注1)災害貸付金制度
被災した社員に会社が貸付するニッケイ物流独自の制度。当初2年は無利息、その後は物価上昇率を加味した変動金利。
注2)ステコミ
ステアリングコミッティーの略。プロジェクトの最高意思決定機関。
注3)物価指数スライド金利
今回の騒動の原因となっている「災害貸付金制度」は、当初2年間無利子の低利貸付制度だが、返済期間が2年を超えて長期におよぶ場合には、経過年数に物価上昇率を加味した変動金利が設定される。
注4)金利計算の設計をすべてやり直すとなりますと、これは期間内では…
「物価上昇率を加味した変動金利」となると、毎年利率を洗い替えて返済額を再計算する必要がある(返済期間が変動しないようにするため)。また、災害発生は複数回起こり得るため、例えば1人が3件の貸し付けを受けていて、1件目は貸付開始から3年目なので3年目の利率、2件目は貸付開始から2年以内なので無利息、3件目は貸付5年目なので「5年目の利率+物価スライド金利」といった状況にも対応できるようにしておく必要がある。檜山は、これらを考慮した設計変更に期間内で対応するのは難しいと主張している。
小浜 耕己(おばま こうき)
スミセイ情報システム PMO部 統括マネージャ
住友生命保険で情報システムの開発とプロジェクト管理に従事。スミセイ情報システムに出向後、品質マネジメントシステムを担当し、全社PMOチームの立ち上げに携わる。サラリーマン稼業の傍ら小説家の顔も持つ。高校時代に書き始めて就職後にデビューした。SF、ミステリー、ホラー、ファンタジーなどフィクションの著書多数。日本SF作家クラブ会員、日本文藝家協会会員。