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 キッチンで朝食の用意をしていた亜佐美が、檜山に声をかけた。

「どうしたの、こんなに早く?」

 パジャマのままヘッドホンをかけ、居間の大画面テレビの前に座っていた檜山は、すぐには気付かなかった。亜佐美に後ろから肩をたたかれて初めて振り返る。

「いや、ちょっと…」

 片方のヘッドホンを外して言葉を濁す夫の顔を見てクスリと笑うと、亜佐美は紅茶のカップをサイドテーブルに置いた。その横に真新しいテキストが広げてある。表紙を見るまでもなく、亜佐美にはその正体が分かった。音声が聞こえなくても、朝6時という時間帯と、テレビから流れる映像で見当はつく。公共放送の語学講座だ。

「朝から勉強してるんだ。何も、音を消さなくてもいいのに」

「起こすといけないと思って」

 檜山は弁解がましい口調で言う。

「どうせ、この時間には起きてるよ。知ってるでしょ?」

 亜佐美はそっと引き戸を開いて、居間に隣接する寝室をのぞいた。1歳半になった真実は、時計で計ったように毎朝同じ時刻に目を開け、身じろぎをし始める。視界に母親の姿を認めると、彼女の瞳が輝いた。何か言葉を発するように唇が動くが、はっきりとした声は出てこない。亜佐美は笑みを浮かべて寝室に踏み込んだ。

 檜山は、無言で画面に集中している振りをした。