ツアー初日の集合場所は、シリコンバレーのホテルに隣接するコンベンションセンターの1階だった。ツアー参加者の宿泊先には、そのホテルが割り当てられているので便利でいい。

 受付を済ませると、100人くらいが座れるプレゼンテーションルームに通された。受付で渡された資料に、今日のスケジュールが載っている。最初にツアー全体の説明があり、その後、午前中に基調講演を含めて講演が3件。そして午後は時流に乗って大きくなった最近話題のITベンダーの本社を訪問することになっていた。このITベンダーは、社員が自由に発想できるようにオフィスに工夫がなされているという話だ。

 周囲を見渡すと、日本の会社が企画したツアーであるため日本のビジネスパーソンらしき人ばかりが20人ほど座っている。年齢層は幅広く、20代から50代と思しき人までいた。さすがに見た目では業種までは分からないが、軽装の人が目立つ。ITなど比較的新しい業界から来た人が多いのだろう。建設業のような重厚長大産業から来ていると思われる人は見当たらなかった。

 開始時刻になったものの始まる気配がないので、なんとなく日本の空港で会ったおやっさんの名刺を取り出した。

いろは化学材料株式会社
代表取締役社長
森田 剛

 あの後、追いかけて名刺を渡そうとしたが、見失ってしまった。経営者が危機感を持たなければいけない話や新規参入者が斬新なサービスを生み出して市場を奪ってしまう話など参考になる話が多かったので、またどこかで会えるといいがと思う。おやっさんの日に焼けたはげ頭を思い出し、少し吹き出してしまった。

「何か面白いこと、あったかい」

と隣から声がした。

 見ると、私より10歳ほど年上のサラリーマンが座っていた。太った体にスーツがぴっちりと張り付いていて、かなり窮屈そうだ。ワイシャツの一番上のボタンは外れ、その周りにゆるくネクタイが巻かれている。

 日に焼けたはげ頭を思い出していたとも言えず、「いえ別に」と笑ってごまかした。

「それにしても、時間になっても始まらないなあ」

とその太ったサラリーマンは言った。

「よくシリコンバレーには来るの?」

「いえ、初めてです」

「日本に比べると、海外は時間がルーズだからなあ。アポイントを取って、時間通りに行っても、10分、15分、待たされることはよくあることだからな」

「でも、これは日本の会社のツアーですから…」

「講演者が来てなくて、裏でドタバタしているのかもしれないよ。おっ、ようやく始
まりそうだ」

 見ると、司会者が演壇に上がるところだった。

 司会者の紹介で主催者側の挨拶が行われ、ツアーの説明の後、最初の講演に移った。

 最初の講演では、タックスヘイブンを取り上げていた。起業するのであれば、経理にスペシャリストを置くことが重要だとの話だった。企業にとって鍵を握る経営陣は、第一に社長、第二に経理担当者、第三にマーケティング担当者、第四に技術担当者、第五に営業担当者だという。

 日本の会社の社長はサラリーマン社長だから米国企業ほどの影響力はないかもしれないが、それでも一番重要なのが社長というのは分かる。しかし、二番目が経理だと聞いて驚いた。さらに三番目にマーケティングがくるとはアメリカらしい。

 うちの会社では社長なんて年の初めの挨拶と社員向けの事業説明会くらいでしか見ないからピンとこないが、会社で最も重要な立場にあることは間違いない。しかし、その社長を除けば一番偉そうなのは営業担当役員だ。うちの会社は、営業出身者が社長になることが多いから偉そうなのか、偉そうだから社長になるのか。その辺はよく分からない。

 一方、技術担当役員は技術研究所の所長を兼務していて、物静かだ。でも専任がいるだけ技術は重要視されているということになる。その点、マーケティングを専任で担当している役員はいない。実質的には営業担当と社長が担当しているような形だ。経理担当役員はもちろんいるが、どれほどの発言力があるのか、現場の私には分からなかった。

 小太りのサラリーマンが、また声をかけてきた。

「今の話、どう思う。うちの会社では営業の声が一番通るけどね」

 やはりそういう会社が日本には多いのかもしれない。

「うちの会社も同じです。営業が一番権限を持っています。社長も営業出身ですし。マーケティングにいたっては、どの部署が担当しているのかさえ分かりません。へたをするとマーケティング機能すらないかもしれません」

「私は電機メーカーで機器の開発をしているけど、開発は、まだ発言力があるほうかな。うちはマーケティング部門があるけど、あまり権限ないものな。市場調査して、データ集めるのが仕事みたいなもので、営業や製品開発のために働いている」

「私は建設会社ですが、これまで現場監督をしていたので、経理が重要と言われると、現場はどうするのかと思ってしまいます」

「タックスヘイブンの話があったけど、帳面の上でうまく処理することで支払う税金を少なくしたり、利益を多くして内部留保する金額を増やしたり、やはり会社はお金の流れが重要ということなのかな。経理がうまくやれば倒産せずに済んだ会社は案外多いと聞くからなあ」

「なるほど。やはりお金が回らなくなったら企業が存続できないということですか」

 企業は売ることが一番大事かと思ったが、営業の重要性が必ずしも高くないのには驚いた。そして、技術がなければ製品が競争力を持たないので技術も重要だと思っていたが、これも優先度は意外に低い。最初の講演から、いきなりショックを受けた。

 続いての講演は、イノベーションについてだった。イノベーションを起こすために必要なことは、常識を疑えということとチャレンジすることの2つだと主張していた。そして、いくつか例を挙げて、常識から外れた発想でイノベーションが起こっていることやチャレンジしたことが成功に結びつくことを述べた。

 言っていることは正しいのだろうが、当たり前と言えば当たり前のように思える。後から振り返れば常識はずれが成功に結びついているのだろうが、前もってどの常識を疑えばいいのかは分からないのではないか。疑うべき常識を見つける方法が知りたいと思った。

 最後の講演は、フィンテックで起業したばかりの若手のベンチャー経営者だった。この経営者は、新しく事業を始めるときに最初にやるべきことは情報を集めることだと言った。公開情報でも十分に価値のある情報が集まると力説している。CIA(米中央情報局)も集めている情報の90%以上が公開情報からだという。

 公開情報でも、丹念に集めて分析すれば、およそ世界で起こっていることは分かるそうだ。そして、現在の積み重ねが将来につながるので、未来も見えてくるという。この際に重要なことは事業の成功を裏付けるデータを集めること。定性情報では判断ができないので、なんらかの指標を考えて、情報を数値化すべきだとそのベンチャー経営者は言った。

 説得力はあるのだが、どうも何かが引っかかる。そこで隣の小太りのサラリーマンに聞いてみた。

「データから将来を見通せという話でしたけど、どう思われますか」

「データで示さないと銀行は金を貸さないからな。将来、どれだけもうかるのかを数字で示せと言ってくるよ」

「これから始めるビジネスで、いくらもうかるなんて分かるものですかね」

「分からなくても数字を出さなければ、融資を受けられないなら、やはり数字を出さないとな。まあ、正しいかどうかより、もっともらしい数字であることと、起業する側の姿勢を見せることが大事なんじゃないかな」

 うちの会社も現業については過去の数字から来年の数字を導いて、上に報告するから、数字で示すべきだとは思う。しかし、これから始めようとしている事業を数字で示す必要がどれくらいあるのだろうか。

 ひとしきり小太りのサラリーマンとお互いの会社の予算の作り方について情報を交わしていると、突然、拍手が聞こえ、講演が終わったことに気がついた。そこで小太りのサラリーマンとは、名刺を交換して別れた。

 名刺には、日本人なら誰でも聞いたことがある大手電機メーカーの名前が書いてあった。

XYZ電機株式会社
第一開発部部長
権田 陽一

 そのとき、肩をたたかれた。振り返ると空港で会ったおやっさんが笑って立っていた。

 予期せぬ再会に驚きつつも、空港での話の礼を言い、自分の名刺を渡した。森田というこのおやっさんは、このツアーにメンターとして主催者から招待されているとのことだった。

「昼飯、まだなら一緒に食べないか。コンベンションセンターの前の道にホットドッグ屋の車が来てるから」

「屋台のホットドッグですか」

「バカにしたもんでもないぞ。まあものは試しだよ」

 森田さんの言うことは正しかった。確かに、なかなかうまくてボリュームがある。

 とにかく大きいし、チーズやピクルスなどのトッピングも選べて、かむとソーセージの汁があふれて、肉の味が口の中に広がった。なによりカリフォルニアの青空の下で、さわやかな風に吹かれながら、木陰のベンチで食べると、それだけでおいしく感じる。

 空港で会ったときから、なんとも憎めない風貌だが、うまいホットドッグにも出合えて、森田さんと一緒にいるだけで良い運が巡ってくるような気がした。


日経BP総研 クリーンテック研究所
日経BP総研は、日経BPが持つ総合研究所。クリーンテック研究所は、その一部門。環境・エネルギー、交通、IoT(Internet of Things)、スマートシティなどを含め、広範囲に及ぶ社会的課題解決をテーマとする。企業・産業の意思決定や国の政策決定への貢献を目指す。2010年設立。

ドリームインキュベータ
戦略コンサルティングを通じて、日本企業とともに社会のあり方を変えるビジネスプロデュースを実践。戦略コンサルティングスキルという、ビジネスにおける最も普遍的で有益な根源的スキルをベースとして、そのスキルを顧客企業へのサービスだけでなく、自社の投資・インキュベーション・事業経営にまで展開することで社会のあり方を変え、日本経済を元気にするビジネスプロデュースに取り組む。
出典:「社長、ウチにもCTOが必要です」(日経BP) 第2章「ほらを吹け」を改題
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