「我々のノウハウは、ノウハウではなかった」──。開発が大幅に遅れている三菱航空機(本社愛知県・豊山町)の小型ジェット旅客機「三菱スペースジェット(旧MRJ)」。開発遅延の理由は、同社社員のこの一言に凝縮されている。
①MRJ開発遅延の真相、知見不足で8年を浪費 直面した900件以上の設計変更
②三菱スペースジェット事業凍結、型式証明に泣いた12年目の結末
③「誰も責を負わない」開発 三菱スペースジェット失敗の本質
三菱航空機は2008年にMRJの開発を開始し、当初設定した納入時期は2013年だった。その後、5度の延期を繰り返し、現在は2020年半ばの納入を予定している。ところが、機体の安全性を国(国土交通省航空局)が証明する「型式証明(TC)」の取得に使う試験機(10号機)の開発が遅れており、「2020年半ばの納入は絶望的」との声が一部で上がる厳しい状況にある。三菱航空機代表取締役社長の水谷久和氏は「進捗状況を見極めており、スケジュールを精査している」と、6度目の納入延期の可能性について言葉を濁す*。
開発8年目に大幅な設計変更
実は、MRJは開発開始から8年目の2016年に大規模な設計変更の必要性に迫られていた。5度目の納入延期を決断した時のことだ。型式証明の取得経験を持つ海外の専門家から「このままでは型式証明を取れない」との指摘を受け、機体のシステムや部品、機能について見直した結果、900件以上の設計変更を余儀なくされたのだ。三菱航空機はこれらの設計変更に2017~19年の3年を費やしている。
つまり、三菱航空機の設計は型式証明を取得できないものだったのだ。それだけではない。海外の専門家は三菱航空機のそれまでの仕事の進め方をことごとく否定した。製品が市場の要求に最適化されていない。オペレーションについては非効率な業務やプロセス、働き方になっている。さらに、組織は全体的に経験不足であり、中でも重要な役割を担うべき全機統合分野でそれが目立つ──と。製品とオペレーション、組織の全てにおいて三菱航空機はダメ出しを食らったのである。
三菱グループでは、三菱航空機の親会社である三菱重工業が米ボーイング(The Boeing Company)向けに翼や胴といったジェット機の重要部品を長年造ってきた。にもかかわらず、開発に着手してから8年もたってこれほどまでの大規模な設計変更を要求されたのだ。一体、三菱航空機は何をしていたのだろうか。