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新型コロナウイルスの感染者の増加に歯止めが掛からない中、メディアが国や政府の批判の色を強めている。ところが、「論理的で健全な理論になっていない批判が散見される」と指摘するのがメディアスケッチ代表取締役の伊本貴士氏だ。何が問題なのか。エンジニアの視点から同氏が解説する(近岡 裕=日経クロステック)。

 コロナ禍に際し、日本政府が発表した給付金制度や布マスクの配布などについて、批判色を強めた報道がマスメディアによって展開されている。批判はあって当然であり、メディアが批判するのは民主主義という制度の中で非常に重要なことだ。だが、エンジニアである自分が疑問に感じるのは、多くが感情論のぶつけ合いに終始するばかりで、論理的で健全な理論には全くなっていないことだ。

 日本政府や官公庁側からすると「なぜ、これほどまでに批判されるのか」「今は何をやってもバッシングされる」と思っているかもしれない。だが、その根本的な原因は情報発信の仕方にあると筆者は思う。

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 例えば、布マスクの配布について、その施策について疑問を感じても、それが本当に正しいかどうかは分からない。正確に言えば、それが正しいのかどうかを判断する材料がない。

 つまり、政府が布マスクを配る判断に至った経緯と根拠をはっきりさせていないために、正しいか間違っているかにかかわらず論理的な議論にならないのだ。感情的な意見をぶつけ合えば、どうしても政府に批判が集まってしまう。このことを理解できていないのではないだろうか。

 例えば、「通常の不織布マスクの生産量はいくつと把握しており、今後の見通しはこれくらい。今後、病院などが必要とする数はいくつと見ている。想定される最悪のシナリオで想定した場合、どれくらいの備蓄が必要で、布マスクのコストがどれくらいだから、いろいろな方法(具体的に方法を挙げる)を検討して比較した結果、マスクの配布が最も効果があると考えこうした判断に至りました」──。このように、議論の過程や判断基準を全て公にすればよいのだ。

 こうしないと、「何も考えずに、感覚的に誰かが適当に決めました」と言っているのと同義である。批判的な意見が集まるのは当然とも言える。

国はデータ・ドリブンを推進してきたはずなのに……

 日本政府はこれまで、オープンデータを各官公庁や地方自治体に推進してきたはずだ。言葉は「DX(デジタル変革)」などいろいろあるにしても、データ分析に基づいて判断を行う「データ・ドリブンの文化」を推進してきたはずである。

 データ・ドリブンの文化とは、単にデータを集めたり、分析したりすればよいというものではない。データ分析の結果だけではなく、過程や判断基準も含めて、広く関係者に共有することだ。それができていないから、世間から批判が集まるのである。政策の良し悪(あ)しに関係なく、情報発信の方法に関して批判が集まるのは非常にくだらないし残念だ。

 逆に、きっちりと数字で情報公開すれば、それに対して事実はどうなのか、その判断基準はなぜ間違っているのかといった論理的で建設的な議論が起こり、次にはもっと良い政策を打ち出せるだろう。

 今はソーシャルメディアも大きな影響力を持っている。ソーシャルメディアではマスメディアをチェックする人も多くいる。そうした人たちが政府の情報を論理的に分析できるようにすれば、仮にマスメディアが間違った情報を発信しても、きちんと訂正情報を流してくれる。

 ところが、そうした方向には進まず、マスメディアにおいて専門家ではない人が自分の感情を述べるだけの政府批判が多く見られるのは非常に残念であると同時に、この非常事態において大変嘆かわしい。