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 「懲役5年」。2020年3月25日、東京地方裁判所が斉藤元章被告に実刑判決を言い渡した。同被告は、スーパーコンピューター(スパコン)向けプロセッサーを開発するPEZY Computing(ペジーコンピューティング、本社・千代田)の創業者であり、「天才」とも称された元社長だ。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの助成金の詐取や法人税法違反(脱税)の罪で懲役刑を受けた。だが、この事件を「個人の詐欺事件と解釈してはならない。日本にテックカンパニーを育成する健全な環境をつくるために生かすべきだ」と警鐘を鳴らすのが、メディアスケッチ(東京・千代田)最高技術責任者(CTO)の江崎寛康氏だ。この事件をどう解釈すべきか。同氏に聞いた、その前編。(聞き手は近岡 裕)。

PEZY Computing(以下、ペジー)の元社長による助成金詐欺事件をどう見ますか。

江崎氏:カリスマ社長ともてはやされた人間の没落劇として、メディアや世間は注目するでしょう。しかし、この事件を、犯罪に手を染めた1人の社長の話に矮小(わいしょう)化してはいけないと思います。

ペジー元社長の斉藤元章被告
ペジー元社長の斉藤元章被告
東京地裁から懲役刑を言い渡された。罪状は詐欺罪と法人税法違反。(写真:日経クロステック)
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どういうことでしょうか。

江崎氏:この事件は、コンピューター業界に対する世間の誤解の産物だと捉えるべきだからです。同じ過ちを、日本で繰り返してはなりません。

 ペジーは今でも存在し、スパコンの開発を続けています。消費電力1W当たりの計算量から省エネ性能をランク付けする「Green500」というベンチマークで「世界第2位に認定された」と、同社は2019年11月25日にプレスリリースを発表しています。これが事実であり、同社の技術が「本物」であったとするならば、ボトムに位置する開発現場は真面目に「正しいこと」をしているのでしょう。

 しかし、全体を見るとどうでしょうか。ペジーには80億円もの公的資金がNEDO(独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)を通じて投入されたと報じられています。これほど多額の税金をいちベンチャー企業に投じて詐取されたのに、中央省庁(経済産業省)は何の責任も取らないのでしょうか。そもそも、経産省はペジーの業務や技術の中身をきちんと精査した上で税金の投入を決めたのでしょうか。非常に疑問です。

メディアスケッチCTOの江崎寛康氏
メディアスケッチCTOの江崎寛康氏
(出所:メディアスケッチ)
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「ボトムアップ信仰」は通用しない

コンピューター業界に対する世間の誤解とは何でしょうか。

江崎氏:日本ではコンピューター業界に対して間違った「信仰」があります。「ボトムアップ信仰」とでも言うべきものです。最下層に位置する開発現場が優れたデバイスを作ればボトムアップで会社が良くなり、ビジネス的に成功するという考えです。しかし、この考えはコンピューター業界には通用しません。結論から言えば、きちんとしたビジネススキームがなければ稼げないのです。

 CPUやメモリーといったハードウエアまではボトムアップがある程度成り立ちます。しかし、コンピューター業界ではその上にソフトウエアのレイヤー(層)がたくさん重なります。OSやミドルウエア、通信アプリケーションプログラム(アプリ)、Webアプリ、表計算アプリ……と、数えるときりがないほどです。ハードウエアがいかに優れていても、ソフトウエアまで含めて全体が最適化されたビジネススキームになっていなければ、ビジネスとして成功しません。

製造業ではボトムアップで成功する例がたくさんあります。そのため、製造業の視点からみると、それが通用しないというのは意外に感じます。

江崎氏:自動車や家電製品、産業用機械などで品質に優れるハードウエアを造って成功を収めてきた日本だからこその誤解なのでしょう。製造業の分野では確かに、ボトムアップの成功例は珍しくありません。しかし、「良いハードウエアは売れる」という見方が、コンピューター業界では通用しないのです。ペジーは、ハードウエアを手掛けるベンチャー企業がコンピューター業界で「良いハードウエアは売れる」と考えて、詐欺という形で失敗した典型例です。

 高速に動作するCPUを作ったというだけで、ペジーは経産省やメディアから随分と持ち上げられました。「ベンチャー企業なのにすごい」と。ところが、それだけは売り上げが立たない。一方で、開発費や人件費はどんどん増え、資金がショートする。負債が膨らみかねない。よし、世間の期待をあおって助成金をもらおう――というのが、ペジー元社長の考えだったのではないでしょうか。