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 「懲役5年」。2020年3月25日、東京地方裁判所が斉藤元章被告に実刑判決を言い渡した。同被告は、スーパーコンピューター(スパコン)向けプロセッサーを開発するPEZY Computing(ペジーコンピューティング、東京・千代田)の創業者であり、「天才」とも称された元社長だ。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの助成金の詐取や法人税法違反(脱税)の罪で懲役刑を受けた。だが、この事件を「個人の詐欺事件と解釈してはならない。日本にテックカンパニーを育成する健全な環境をつくるために生かすべきだ」と警鐘を鳴らすのが、メディアスケッチ(東京・千代田)最高技術責任者(CTO)の江崎寛康氏だ。この事件をどう解釈すべきか。同氏に聞いた、その後編。(聞き手は近岡 裕)。

PEZY Computing(以下、ペジー)の一件は元社長の助成金詐欺として裁かれました。でも、少なくともハードウエアの技術の高さは本物だったのではないでしょうか。だからこそ、経済産業省もベンチャー支援のために大切な税金を投入したのでは?

江崎氏:果たして、検証は十分だったのか――。これが、このペジーの詐欺事件から学ぶべきもう1つの教訓です。

 実は、同社の技術を誰がどのように検証し、評価したのかは不明です。ペジーは、消費電力1W当たりの計算量から省エネ性能をランク付けする「Green500」というベンチマークにおいて、世界1位や2位といったトップの成績を収めていました。これは、性能に優れるスーパーコンピューター(スパコン)を低消費電力で作れる技術を持つということを意味します。同社は、1チップ内に世界最大級の演算コアを埋め込んだメニー・コア・プロセッサー(CPU)や積層メモリー、液浸冷却技術を使って、こうした記録を実現したと主張していました。

ペジーが開発したプロセッサー
ペジーが開発したプロセッサー
(出所:ペジーのWebサイトからのキャプチャー)
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 ところが、CPUの研究者からは「怪しい」という声も上がっていました。なぜ高性能なのかについて、ペジーは技術の中身をオープンにしなかったからです。論文は発表していないし、半導体回路の詳細も分からない。詳しい説明はせずに、液体に漬けて冷やすと高性能になると言う。だから、誰も追試ができなかったのです。ペジーの関係者以外にその性能のスパコンを動かした人間はいない。だけれども、ベンチマークのスコアはいきなりぽんと上がり、その数字だけで高い評価を受けました。

 ただし、CPUの研究者の中で「おかしい」とまで言う人はいなかった。なぜなら、ペジーのスパコンの数字は妙に“リアリティー”があったからです。ある領域は圧倒的に優れるけれど、ある領域では劣るといった具合に、うまい具合に性能がばらついていた。だから、「怪しい」という言葉だったのです。

「怪しい」という研究者の声

しかし、技術はあるときにぐんと向上する瞬間があるのではありませんか。天才的なひらめきや、新材料の進化など幸運が重なることもあるのでは? 実際、2012年にカナダのトロント大学教授のジェフリー・ヒントン氏が率いるチームが、機械による画像認識の精度を競うコンテスト「ILSVRC (ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge)2012」で、精度を飛躍的に高めて優勝したというケースがあります。これがきっかけとなって、今の第3次人工知能(AI)ブームが始まったと聞きます。

江崎氏:ヒントン氏は世界的に有名なAI技術の第一人者で、それこそ1980年代から論文を出し続けています。著名なニューラルネットワークの研究者で、その画像認識コンテストでは現在のAIの代名詞とも言える深層学習(ディープラーニング)を使って革命的なハイスコアをたたき出しました。ペジーのベンチマークのスコアとは違い、突然ぽんと出てきた数字ではないのです。天才的な研究者が長い年月をかけて研究を続けたものが結実した数字だったのです。

 これに対し、ペジーのハイスコアはぽんと出てきた。それまでは皆が横並びで牛歩のような進化だったのに。それでも、このベンチマークのスコアだけでペジーの技術は評価されました。もちろん、論文がないからといって技術そのものを否定することはできません。しかし、論文がなければ技術を検証する材料がない。従って、他の研究者は懐疑的になったというわけです。

メディアスケッチCTOの江崎寛康氏
メディアスケッチCTOの江崎寛康氏
(出所:メディアスケッチ)
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歴史に「もしも」はありませんが、経産省はペジーの技術をきちんと検証してから公金を投じるべきだったのですね。

江崎氏:仮に技術の検証が何らかの形でできたとしても、資金を投じるにはまだ早すぎます。ビジネススキームについても検証しなければなりません。

 この点については先ほど(前編)も触れましたが、技術がすごいというだけでは、将来的に利益を生み出せるとは限りません。そこで、利益を稼げる可能性が高いビジネススキームであるかどうかを冷静に判断しなければならないのです。

 使い勝手の良い製品やサービスにつながるソフトウエア開発まで対応できる技術力があるのか、開発費用は十分か、そして製品やサービスを量産でき、顧客に販売できる体力(費用)はあるのか。自分が投資家になったと想定すれば分かります。こうしたことをしっかりと検証せずに、あなたは大切な資金を投じられますか?

 ペジーと同じように、ビジネススキームをまともに練っていない企業やテックカンパニーも世の中には存在するのです。ペジーの元社長は裁判所から詐欺と裁定されましたが、「優れた技術があるから成長する」と純粋に信じる「悪意のない企業」もあるので注意が必要です。なぜ、資金を投じる側、今回の場合は国(経産省)に、技術とビジネススキームを見抜く力がないのか。冒頭で述べた通り、この点がペジーの詐欺事件から学ぶべき2つ目の教訓なのです。

 メディアにも責任の一端はあると思います。メディアで取り上げられるとその企業の信頼性が高まり、投資家の心証が良くなるからです。それを悪用しようとするベンチャー企業がないとはいえません。メディア受けを狙って、できもしないことを「できる」と言ってみたり、不必要にオフィスの見栄えを良くしてみせたりする企業もあるので要注意です。実際、メディアが取り上げていると言うと上司を説得しやすくなるという投資会社の話や、国のプロジェクトの場合、メディアに取り上げられること自体が成果と考える役人もいるという話を聞いたことがあります。