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 新型コロナウイルスが引き起こしたパンデミック(世界的大流行)は、あらゆる産業に甚大な影響を与えている。深刻な経済損失に陥っている産業の1つが、多くの人が集まることにこそ価値があるスポーツやコンサート、舞台芸術といったイベントである。新型コロナはその根底を揺さぶっているわけだが、テクノロジーを活用して新たな価値を見いだす事例も出てきている。台湾トップの歌劇団である「台北歌劇団(台湾名:台北歌劇劇場)」が2020年3月20日に、実際の公演が中止になったことを受けて急きょ実施したリハーサルのライブ映像は、世界から5万人以上の視聴者を獲得した。これはクラシック音楽界では大きな数字だという。多くのイベントが無観客開催を余儀なくされるなか、この取り組みは、世界の舞台芸術関係者から注目を集めている。

台北歌劇団の演目のリハーサルの様子
台北歌劇団の演目のリハーサルの様子
(写真:Taipei Opera)
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 1971年に設立され、これまで40本以上の西洋オペラの台湾初演を手掛けるなど、台湾のオペラ界で断トツの存在である台北歌劇団。同劇団は2020年3月21日、台湾国立オペラハウス(台中国家歌劇院)でバレエ「恋は魔術師」とオペラ「はかなき人生」の公演を予定していた。いつものように、オペラハウスは満員の観客に沸くはずだった。

 しかし、迫りくる新型コロナウイルスの脅威が状況を一変させた。今回の公演で演奏を担当する台湾国立交響楽団のトップが、台湾当局から練習と出演の中止勧告があったことを台北歌劇団に伝えたのだ。それは公演の3日前、3月18日午前のことだ。

 オペラやバレエ、ミュージカルの公演では、舞台と客席の間に設けられたオーケストラ用の演奏場所であるオーケストラピットに楽団員が入って演奏するが、そこは“密”の状態になるため、感染予防の観点から当局から事実上のストップがかかったわけだ。

 この知らせを聞き、台北歌劇団のメンバーは途方に暮れた。オーケストラの演奏なしには公演が成立しないからだ。台北歌劇団のトップは18日昼ごろ、公演の中止を決定し、台湾国立オペラハウスにそれを伝えた。

ライブ配信実施を後押しした‟伝説”

 今回の新型コロナに関して、台湾当局の迅速な取り組みは世界から称賛されている。実際、5月上旬時点で感染者数は440人、死者は7人に抑え込んでいる。当局は3月19日には、外国人が入るのを禁止する措置を下していた。

 その2日前の17日、ギリギリのタイミングで台湾に入ったある男の存在が、失意の台北歌劇団に希望を与えた。スマートシティーや映像配信関連など各種機器向けの開発・設計を請け負うレクセル日本 代表取締役CEOの穎川廉氏である。

 実は21日の公演はリアルタイム、かつ4台のカメラ映像を同時に配信することを計画しており、同氏はそれに使うエンコーダー装置7台(3台は予備)を持ってきたのだった。

 突然の公演中止の決定を聞いた穎川氏は、団員と同様、いたく困惑したという。と同時に、同氏が在住する米国フィラデルフィア市のフィラデルフィア管弦楽団による「米クラシック音楽界の伝説」が頭をよぎったという。その話を台北歌劇団に伝えると「ならば、我々もやろう」と、その場で劇団はライブ映像配信の実施を決断した。18日の午後のことだ。

 穎川氏が台北歌劇団に伝えた伝説とは、1994年冬のある日の「暴風雪の日の演奏会」だ。その日、フィラデルフィア管弦楽団の公演は災難に遭遇した。猛烈な暴風雪でオーケストラの楽団員が会場に来ることができなかったのだ。中止は誰の目にも明らかな状況だったが、音楽監督のヴォルフガング・サヴァリッシュ氏は楽団員の演奏に代えて 、自らがピアノで楽曲を演奏し、その場に集まった人に無料で会場の扉を開いたという。