政治の世界でもデジタルトランスフォーメーション(DX)が進み始めている。2019年秋に自民党青年局長に就いた小林史明衆議院議員。NTTドコモに勤めた経験を持つ同氏は、青年局でオンライン会議の導入を一気に進めるなどデジタル化を推進してきた。「遅れている」といわれていた組織で、先の総裁選ではオンラインによる公開討論会を実現した。就任から1年。「自民党のDX」はどこまで進んだのか。なぜ「デジタル庁」が必要なのか。小林議員に聞いた。
(インタビューは20年9月10日に実施した。聞き手は島津 翔=日経クロステック)
20年9月9日に開かれた総裁選挙公開討論会は、自民党で歴史上初のオンライン配信での開催となりました(自民党青年局・女性局が主催)。これまで「デジタル化が遅れている」との指摘もありましたが、配信に苦労もあったのでは。
それが、正直全くなかったんです。
意外ですね。
19年秋からの蓄積があったからだと思っています。オンラインによる会議やペーパーレス化が当たり前になってきました。今、自民党は「DXをやったほうがいい」というフェーズではありません。「DXってやれるぞ」と自信を持ち始めている。そんな段階に入ってきています。
19年9月に青年局長に就かれました。当初からDXを推進されましたが、その理由を改めて聞かせてください。
今日の話のメインは、DXの意義についてだと思っています。これまで、政治・行政のDXを走りながらやってきました。本当に痛感しているのは、手段論に陥ると全くもってDXは失敗する。つまり「何のためにDXを進めるのか」が重要なんですね。そこを間違えなければ、生産性は確実に上がっていきます。
先の公開討論会も、デジタル化したいからオンラインで公開したわけじゃない。
私が50代目の青年局長に就いて、まず局のミッションを変えました。それまでは、とにかく政治を見える化することが重要で、青年局は街頭に立ってビラを配り、仲間を増やしたり認知してもらったりする「政治活動集団」でした。一方で、ややもすれば世間から見ると、「青年局って何をやっているか分からない」と思われていたかもしれない。私は、地域の課題を解決することに主眼を置きました。「政治活動集団」から「政策実践集団」になろうと。こうシフトしたんです。
では、実践集団になるために何が必要か。内部の課題を見ていくと、国で決まった方針や法律が地方に伝わっていないことが分かってきた。例えば2年後に法改正が見えているのに、地方ではそのための予算や条例ができていないことがありました。そこで考えたのが、デジタルを使って情報をリアルタイムで共有することでした。デジタル化すれば、2年早く動き出せる、と。
つまり、まずミッションを変えた。そしてそのミッションを達成するために、DXが必要だったということなんです。
まずどこから手を付けたのでしょうか?
これは民間なら当たり前なのでしょうが、イントラサイトの整備から始めました。青年局なら誰でも見られるサイトです。
そこから……?
驚くでしょう? でも、それが現実だったんです。政治の世界にクラウドサービスを盛り込んだのは12年当選組の我々なんです。それまで、政治の世界ではエクセルで打ち込んだスケジュールを印刷して、毎日、秘書が議員に渡すのが当たり前でした。予定に修正が入ると、秘書が電話して、それを議員が手書きで直す。毎日、その紙をスーツに忍ばせていたんです。
私たちがスマートフォンでスケジュール管理しているのを見て、「何それ?」と。みんな徐々に便利だと気付いて、どんどん横に広がっていきました。
ただし、それだけで「政治の世界は遅れていた」という捉え方も間違っていて、情報を自分だけが持っているのが議員としての価値だったわけです。それを地元に帰ったときに、地方議員や支持者と共有する。そこに価値があった。ただ、自民党という組織全体としては良くない。上意下達ではなく、むしろこれからは地方発の政策提案があってしかるべきですから。
イントラの次の手は。
サイトを立ち上げただけでは誰も使ってくれません。成功体験をつくらないと広がらない。そこでコンテンツとして、「地方議会でこれを質問してください」という記事を2週間に1度のペースでアップしていきました。文案もこちらでつくって、YouTubeで解説動画もつくりました。「この質問をしたら必ず効果が出る」というアドバイスを繰り返したのです。アーカイブも蓄積していきました。
コンサルティングをしているようですね。
そこまでやるべきだと思ったんです。なぜなら自民党としては、日本中の課題を解決したいので、中央も地方もない。たまたま本部が東京にあるだけですから。青年局はプラットフォームになろうと。
そしてデジタルに触れて成功体験を積んでいけば、絶対に広がる。実際、イントラの登録者数は日に日に増えていきました。私の就任当時、青年局で活動に熱心な方は100〜200人くらいだったと思いますが、現在ではイントラサイトでアクティブなユーザーが800人程度まで増えました。
その次に、オンライン会議を始めました。まずは任意でスタートし、どんどん政策を議論して党本部に積み上げていくと、「私も加わりたい」という議員が増え、最終的には47都道府県全てが加わることになりました。
ここまでに掛かった期間は。
19年9月から始めて、2〜3カ月でここまで広がりましたね。でも、まだ党内の雰囲気としては「デジタルって使えそうだね」という段階にとどまっていました。
そんなときに新型コロナウイルスの感染拡大が始まった。
そうです。実際に集まることができなくなってしまった。20年2月には、同3月に開催予定だった党大会の延期が決まってしまった。これは党で最も重要な会なんですね。企業で言えば、株主総会が開けないような状況です。重要な方針が議決できない。出席して議決しなければならないと党の規約に明文化されているのです。
そんな状況で「オンライン議決が必要だ」という問題意識の共有が始まりました。