全3610文字
PR

 東京都渋谷区の住民がLINEアプリを使って住民票などの写しの交付を請求できるサービスを巡って、総務省が他の自治体による導入を事実上止めさせているのは違法だとして、同サービスを提供しているベンチャー企業が総務省を相手取って提訴した。菅義偉首相がデジタル庁創設を打ち出したなかで、オンライン手続きに不可欠な本人確認の在り方が法廷で争われそうだ。

「セキュリティー、法律の観点から問題がある」

 提訴したのは、LINEを使って住民票などを請求できるサービスを提供しているBot Express(東京・港)である。同社の中嶋一樹社長は「ベンチャー企業としては裁判は摩耗する作業なのでできれば本業に集中したいが、これは看過できなかった」と2020年9月10日に提訴に踏み切った経緯を話す。

 渋谷区は2020年4月に同社のサービスを導入し、現在も継続して使えるようにしている。渋谷区によると、サービス開始から2020年9月15日午前9時までの約半年間に住民票だけで373件の利用があったという。本庁だけでも毎月2000件前後の窓口での請求や毎月1000件前後の郵送による請求に比べるとまだ少ないものの、渋谷区住民戸籍課は「今後周知を徹底すれば伸びる」とみている。

 ところが総務省は渋谷区がサービスを開始した直後の2020年4月に都道府県などへの「技術的助言」として、事実上LINEで住民票を請求するサービスを採用しないよう求める通知を出した。マイナンバーカードに搭載した電子署名や電子証明書を使ったオンライン申請以外は「適切ではない」という内容だ。

 当時の高市早苗総務相も記者会見で渋谷区の方式に対して「セキュリティー、法律の観点から問題がある」と述べた。これにより、他の自治体は同サービスを事実上導入できなくなった。

 一連の経緯を踏まえ、Bot Expressは総務省の通知は違法だとして提訴した。渋谷区はLINEで住民票などを請求できるサービスは適法な仕組みだという立場で、今回の訴訟には加わっていない。

身分証の顔写真で本人確認

 渋谷区が導入したLINEで請求できるサービスは、利用者がLINE上で「渋谷区LINE公式アカウント」とやり取りすることで申請できる。スマートフォンなどで撮影した利用者本人の顔写真と、運転免許証やパスポート、マイナンバーカードといった顔写真入りの身分証明書を撮影して、それぞれ送信する。

 渋谷区はAI(人工知能)を使った顔認証の自動判定と、職員による目視の照合によって本人確認をする。利用者がスマホ決済サービスの「LINE Pay」で手数料を払うと、住民票が住民票に記載された住所に後日郵送されてくる。

LINEを使った顔写真による本人確認を説明した渋谷区のWebサイト
LINEを使った顔写真による本人確認を説明した渋谷区のWebサイト
(出所:渋谷区)
[画像のクリックで拡大表示]

 LINEで住民票を請求できるサービスは、2019年3月に千葉県市川市が実証実験を始めて現在も継続している。市川市のサービスはLINEが提供しているが、本人の顔写真と顔写真入りの身分証明書とを照合しない仕組みだ。Bot Expressの訴状によるとLINE社は2019年6月に事業提案のイベントで当時の平井卓也IT担当大臣に市川市のサービスについて仕組みを説明した。平井大臣は「このまま進めて構わない」と述べたという。

 Bot Expressは市川市方式に加えて、新たに本人の顔写真と顔写真入りの身分証明書とを照合する仕組みを導入した。この仕組みは、銀行が非対面で預貯金口座を開設する契約で使う「eKYC」と呼ばれる仕組みと同じだ。eKYCは、「本人確認の書類」と「本人の容貌」の画像で本人確認する方法を定める犯罪収益移転防止法(犯収法)に適合している。

 渋谷区やBot Expressは本人の顔写真と顔写真入りの身分証明書とを照合する仕組みについて、現在認められている郵送による請求と比べても、他人がなりすまして住民票を請求できるリスクは低いと主張する。郵送では本人確認ができる書類のコピーを申請書に同封して送るだけだからだ。

 中嶋社長によると、渋谷区がLINEを使ったサービスを導入するまでの約1年間に、中嶋社長自ら当時の総務副大臣や自民党若手議員、内閣官房の担当者らに仕組みを説明して理解を得ていたという。ただし総務省の住民制度課は「電子署名を使う必要がある」と一貫しており、Bot Expressと主張は平行線のままだった。中嶋社長は「マイナンバーカード以外は容認しないという結果ありきの議論だった」と話す。