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 EV(電気自動車)化の波がタイヤ業界に到来している。世界首位を争うブリヂストンは競合を突き放す一手として「EVバス専用タイヤ」の開発を進め、試作タイヤで実証実験に参画した(図1)。2020年秋、横浜市を走る路線バスに装着。接地面(トレッド)に施した驚異の「隠れ溝(ミゾ)」設計により、転がり抵抗を2割下げ、EV電費の1割向上を実現した。航続距離の延長に貢献し、自動車メーカーの車両開発を変える可能性を秘める。同タイヤはいかにして生まれたのか。開発の裏側に迫った。(本文は敬称略)

図1 ブリヂストンはEVバス専用の試作タイヤを開発した
図1 ブリヂストンはEVバス専用の試作タイヤを開発した
(a)熊本大学などが開発したEVバス。日産自動車出身で熊本大学准教授の松田俊郎氏が開発指揮を執った。日産のEV「リーフ」からモーター2基とリチウムイオン電池モジュール(合計容量160kWh)を流用し、搭載する。20年10月に横浜市で実証実験を開始した。(出所:熊本大学)(b)ブリヂストンが開発したEVバス専用の試作タイヤ。写真はカットモデル。接地面(トレッド)に施した「隠れ溝(ミゾ)」設計が特徴で、転がり抵抗を2割下げ、EV電費の1割向上を実現した。(撮影:日経クロステック)
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「金型よ、頼む。うまく外れてくれ」

 19年春のある夜。ブリヂストン甘木工場(福岡県朝倉市)の一画で、開発チームを率いる芳賀隆史(同社TBタイヤ設計第2ユニットリーダー)は、試作タイヤの加硫工程を神妙な面持ちで見つめていた。

 加硫工程とは、タイヤの原形となるゴム材料をアルミ製の金型にはめて加熱する作業のこと。熱による化学反応でタイヤの弾性力を上げ、同時に接地面(トレッド)を成型していく。加熱後、金型がタイヤからうまく外れれば成功。実用化へ一歩前進する。一方で、外れなければ失敗。設計は振り出しに戻る。芳賀にとって、まさに「重要局面」と言うべき瞬間であった。

「外れた、外れたぞ」

 金型が狙い通りに外れ、芳賀は立ち会った生産技術者と喜びを分かち合う。しばし思いをかみしめたいところだが、芳賀の任務はこれで終わりではない。この後、完成した試作タイヤの品質確認へと移っていく。

 タイヤ技術者がよく口にする「ゴムは生もの」という言葉の通り、材料の組成が複雑に関連し合い、実物を確認しないことにはどんな問題が発生しているか分からない。

 本当に大丈夫なのか。芳賀は不安に駆られながらも、接地面に刻まれた120カ所以上の溝形状を全て目視で確認し、自身の設計に不備がなかったことを証明した。

 現場・現物を重視する社風のブリヂストンにおいても、試作タイヤの製造段階で開発リーダー自らが遠方の工場を訪れることは珍しい。

 EVバス専用タイヤの開発は同社にとって初の試みであり、それだけ特別な存在だったことを意味する。芳賀自身も、数カ月間注力してきた新たな溝設計技術の出来栄えが気がかりで仕方がなかった。

転がり抵抗20%低下に挑む

「EV時代のタイヤ開発は従来の延長線上では駄目だ。転がり抵抗を従来比で20%は下げたい。何かいいアイデアはないか」

 数カ月前のこと。同社研究開発(R&D)の総本山、技術センター/東京ACタイヤ製造所(東京都小平市)の会議室の一室で、芳賀の上司に当たる横田英俊(当時タイヤ開発第1本部長)は開発陣へこう問いかけた。

「20%か」

 芳賀を含む開発陣はこの数値の厳しさをよく理解していた。通常のタイヤ開発では、転がり抵抗を10%下げられれば御の字といえる。さらに20%まで下げるには、何か抜本的な設計革新が欠かせない。

 20%という数値は、EVバスの共同研究を進める熊本大学准教授の松田俊郎らが算出したものだ。転がり抵抗を20%下げられれば、EVバスの電費が1割向上する。路線バスの運用コストを年間で5万円抑えることができる。車両価格が高いEVバスの普及には、電気代などの運用コストをいかに抑えられるかが鍵になる。

 転がり抵抗を下げたときEVバスは特に恩恵を受けやすい。加速時の消費電力を抑えるだけではなく、減速時に発電する回生ブレーキでエネルギーを取り出せるからだ。転がり抵抗が低い、すなわち小さいエネルギーで遠くまで転がるタイヤは、それだけ回生時に大きなエネルギーを得られる。

 しかしながら、実現へのハードルは高い。モーター駆動のEVバスは、ディーゼルエンジンを搭載した一般的なバスよりもタイヤへの負荷が大きい。例えば、駆動開始時の初期トルクには数倍の差がある。消しゴムを凹凸のある板に強く押し付け、速くこすったような状況に近い。変形しやすく、摩耗も早くなる。

「隠れ溝」を初採用

 転がり抵抗の低下と摩耗性能の向上。各特性は背反の関係性にあり両立は難しい。転がり抵抗を下げるためには、ゴム材料に混ぜ込む補強材の削減が近道だが、一方で、補強材を減らすと摩耗しやすくなる。この高いハードルを何としてでも乗り越えるため、開発チームは会議を重ねて仕様を絞り込んでいく。

 まずは、ゴム材料をどうするか。創業から今日まで蓄積してきた膨大な材料データを照合し、低燃費タイヤ「エコピア(ECOPIA)」をベースとすることに決定した。不純物が少ない天然ゴムを多用し、補強材として摩擦熱の発生を抑える特殊な「カーボンブラック」を適用したモデルである。ただ、既存の低燃費タイヤ技術だけではEVバス専用としての要求性能は満たせなかった。

「ゴム材料の改良だけでは限界がある」
「では、溝の形状を抜本的に変えてみるのはどうか」