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正直者がばかを見る

JSSJの品質不正を不問に付した国交省
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JSSJの品質不正を不問に付した国交省
(写真:日経クロステック)

 まず、[1]の法令順守の意識が薄れるというのは、法規に従わない手順と基準で試験をして市場に出した製品を不正がばれてから再試験し、それで合格であれば罰則なしとするなら、「最終的に品質を満たしてさえいれば、法規に従う必要なし」と捉えるメーカーが自動車業界に出てきても不思議ではない。罰則のない法規に抑止力はない。誰も怖くないからだ。

 万が一、「品質が悪くても、ばれなければ保安基準の法規など守る必要はない。たとえばれても、ペナルティーはないから問題ない」などと身勝手に捉えるメーカーが現れたら、国交省はどうするつもりか。事実、JSSJは「不具合処理や原因調査が煩わしかった」「出荷停止や改修を避けるため」などという理由で試験データの改ざんに手を染めていたのである。調査委員会も、同社のフィリピン子会社で「製品の品質に影響がないと思われる場合であれば試験データを書き換えても問題ないなどという、データ完全性を軽視する意識が生じていた」と報告書で断じている。

 [2]の法規の存在理由を失うというのは、法規を守らなくても品質を確保できる手法を企業が持っているというのなら、そもそもそんな法規は不要ではないか、ということだ。国交省が定めた試験の手順も基準も現実には役に立っていないようなら、同省は企業による独自の基準を認めればよい。

 保安基準の法規は、クルマを使う国民向けに安全を企業側に確保させるためにある。つまり、法規は本来、それにのっとっているから安全を満たせる、逆に言えば、それにのっとっていなければ安全を満たせない試験手順や基準を定めるべきだ。仮に時代遅れになっていて現実と乖離(かいり)しているのなら、必要に応じて適切な試験手順や基準にアップデートすべきだろう。

 ところが、JSSJのシートベルトは法規から逸脱しても品質を確保できたというのである。しかも、20年間もだ。これでは少なくとも今回のシートベルトに対する保安基準の法規に関する限り、“無用の長物”と言われても仕方がないのではないか。

 ただし、企業による独自の基準を認めるのであれば、もちろん、それが品質(安全)をきちんと確保できることを国交省が保証し、その責任も同省が負わなければならない。

 [3]の不公平を生むというのは、端的に言えば「正直者がばかを見る」ということだ。品質よりもコスト削減や納期(利益)を優先し、法規を守らなくても罰則が科されない一部の企業がある一方で、コストや納期に関して大きな負担に耐えながらも、法規をきちんと順守する真面目な企業がたくさん存在するのだ。法規を守るまっとうな企業をないがしろにし、JSSJのように長年不正を働いてきた企業の責任を問うことなく、国交省は法規としての公平性を担保できると言えるのだろうか。

 なお、国交省が説明した先の耐摩耗性試験の治具に関して、製造業の常識は「治具や装置を整えることも含めて計測である」というものだ。今回の「耐摩耗試験の場合、治具が品質の重要な判断基準になるのだから、たまたま治具に傷があったので不合格だが、それがなければ合格だったなどという説明など通用しない」(ある自動車メーカーOB)。

 クルマの最終的な安全性に問題がなく、大規模リコールを回避して巨額な支出を抑えられたことは、日本の自動車メーカーにとっては不幸中の幸いかもしれない。だが、国交省のJSSJに対する今回の甘い判断は、日本の自動車業界や製造業のこれからに禍根を残す気がしてならない。