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 量子力学の原理に基づいて安全に暗号鍵を共有する「量子鍵配送(Quantum Key Distribution:QKD)」を手掛ける英国のベンチャー企業Arqit(アーキット)をご存じだろうか。これまで水面下で研究開発を進めていたが、2021年5月になって突然、表舞台に浮上。大手キャリアの英BTグループや住友商事、人工衛星打ち上げの英Virgin Orbit(ヴァージン・オービット)などから資金調達を受けたことを明らかにし、一躍注目を集めている。同社は23年初頭にも、小型の人工衛星を使って量子鍵を配送する「衛星量子鍵配送」を実用化する計画だ。既存の量子鍵配送システムを大きく超える性能を実現するとしている。

衛星量子鍵配送でセキュアーな通信を実現
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衛星量子鍵配送でセキュアーな通信を実現
(出所:住友商事)

 「世界の量子鍵配送関連の企業の中でも、確かなバッググラウンドを持つ経営陣のリーダーシップと、ビジネス的な強みが一番だった。それが出資の決め手となった」と住友商事 航空宇宙事業部 主任の小幡洋平氏は説明する。

 アーキットは、17年に英国で設立された衛星量子暗号関連のスタートアップだ。スタートアップであるとはいえ英国におけるセキュリティー技術のスペシャリストが多数在籍しており、チーフ暗号技師は、政府通信本部(Government Communications Headquarters、GCHQ)の暗号部門元トップのDaniel Shiu氏が務める。GCHQの前身は、第2次大戦中、解読不能といわれたドイツの暗号装置「エニグマ」を解いたことで有名な政府暗号学校である。

 アーキットの取締役には、インターネットのセキュリティープロトコル「SSL」の生みの親であるTaher Elgamal氏も名を連ねている。世界のインテリジェンス機関にかかわるOB・OGが多いことから、政府や軍と強力なコネクションを有するという。スタートアップであるとはいえ、このような確かな人材を多数抱えていることが、アーキットが注目を集めている理由の一つである。

 ではアーキットは、どのような技術的優位性を持つのか。住友商事によると、既存の量子鍵配送システムを大きく超えた、高速鍵配送が可能になるという。現時点で商用化されている量子鍵配送システムの中で、最も高速な鍵配送を実現しているといわれるのが東芝の製品だ。それでも速度は、配送距離120kmで最大300kビット/秒である。アーキットが23年に実用化するという衛星経由の量子鍵配送が、既存システムを大きく超える速度を実現するとしたら、市場にインパクトをもたらすだろう。

 量子鍵配送は、通信したい2拠点において、理論上漏えいしないことが保証された仕組みで暗号鍵情報を共有する。それを可能にするのが、暗号鍵に用いる光子の量子的な性質である。悪意ある第三者が経路の途中で光子を盗聴しようとすると、光子の状態が変化するので盗聴を検知できる。盗聴された可能性がある暗号鍵は廃棄して再送することで、安全に鍵を共有する。

量子鍵配送の仕組み
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量子鍵配送の仕組み
図では光ファイバーで量子鍵を配送しているが、アーキット社では代わりに衛星を介して量子鍵を共有する。(出所:日経クロステック)

 量子鍵配送のやり方は2種類に大別することができる。1つは、地上に光ファイバーを敷設して量子鍵を伝送するというもの。こちらは東芝などが既に実用化している。もう1つのやり方は、小型の人工衛星を使って空からレーザーで地上局に暗号鍵を降らせる。アーキットが手掛けるのは、後者の手法である。

 アーキットは23年初頭に人工衛星を打ち上げて、量子鍵配送を実用化する。鍵配送方式は、単一光子に鍵情報を乗せて伝送する「BB84」の改良版のようだ。だが残念ながら、技術的な詳細は現時点ではほぼ未開示だ。本当に示した通りの性能が出るのかは未知数である。