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 Preferred Networks(PFN)とENEOSの共同出資会社Preferred Computational Chemistry(PFCC)は、分子の物性を原子レベルでシミュレートする材料探索クラウドサービス「Matlantis(マトランティス)」の提供を2021年7月6日に始めた。深層学習(ディープラーニング)を使い、これまで数時間~数カ月かかっていたシミュレーションを数秒単位で実施できるようにした。触媒や吸着剤など新物質の開発にかかる時間を圧縮できる。

Matlantisをスクリーニング手段に用いることで高速な材料探索が可能に
Matlantisをスクリーニング手段に用いることで高速な材料探索が可能に
(出所:Preferred Computational Chemistry)
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 Matlantisを利用すれば、専用のハードウエアを用意しなくてもブラウザー上で材料探索ができる。現在は55の元素をサポートし、今後さらに拡大する予定だ。オンライン会見で登壇したPFCCの岡野原大輔社長は「今年(2021年)は実際に多くの企業に使ってもらい、価値を認めてもらいたい。将来の海外展開を踏まえた活動も徐々に進めていきたい」と語った。既にENEOSや信州大学などがMatlantisを活用する。顧客が探索・発見した材料に関わる知的財産権は顧客側が持つ契約になっているという。

 PFCCはPFNが51%、ENEOSが49%を出資して2021年6月に設立した企業で、資本金は3億1000万円。Matlantisの名称は「Material」(材料・素材)と、冒険家を魅了した伝説上の大陸「Atlantis」を合わせた造語である。機能性分子の候補は10の60乗個にも及び「広大な未知分子の海から、革新的な材料を見つけ出す指針を提供したいという思い」(プレスリリース)を込めた。

 実際、PFNとENEOSの研究チームが2021年6月に論文速報サイト「arXiv」に投稿した論文によれば、(リチウムイオン電池の材料候補である)LiFeSO4Fでのリチウム拡散、金属有機構造体の分子吸着、Cu-Au合金の秩序-無秩序転移、(石炭などから合成石油を作り出す)フィッシャー・トロプシュ触媒の探索で有効な性能を示したとする。

関連リンク: (arXiv論文)PFP: Universal Neural Network Potential for Material Discovery

未知の物質も計算できる「汎用性の高さ」が特徴

 深層学習による化学物質の探索というテーマは、2012年ごろに深層学習が脚光を浴び始めた当初から注目を集めていた。PFNも2017年に化学・生物学向け深層学習ライブラリー「Chainer Chemistry」を公表するなど、早くから研究開発に取り組んでいた。

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 今回のシミュレーション技術の特徴は、これまで研究事例のない未知の材料についても幅広く探索できる「汎用性の高さ」にあるとする。

 汎用性の高い化学シミュレーション手法の1つに「密度汎関数法(DFT)」がある。量子力学の基本法則(第一原理)にのみ立脚した第一原理計算の一種であるため、幅広い化学物質の特性をシミュレートできる一方、スーパーコンピューターを使ってもシミュレーションに数時間~数カ月かかる難点があった。

 そこでPFNとENEOSは共同で、DFTの計算結果を再現できるディープニューラルネットワーク(DNN)を開発した。学習用データをつくるため、PFNのスパコンを使って大量のDFT計算を実行。「1台のGPUなら273年かかる計算時間を費やしデータセットを作成」(PFCCの岡野原社長)し、DNNに学習させた。

高速性を生かし、材料特性から分子構造を導出する「逆問題」を疑似的に解く
高速性を生かし、材料特性から分子構造を導出する「逆問題」を疑似的に解く
(出所:Preferred Computational Chemistry)
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 深層学習の強みは、ニューラルネットワーク自身が膨大な数のパラメーターを内包しているため、任意の関数の出力を高い精度で再現できる点にある。関数の入力と出力のデータセット(物体認識タスクであれば「写真」が入力で、「写っている物体の種類」が出力)を大量に用意すれば、その関数とほぼ同等の値を出力するモデルを生成できるわけだ。

 こうした代替モデルを使い、時間がかかるシミュレーションや探索を高速化する手法をサロゲートモデリング(Surrogate-Modeling)と呼ぶが、膨大な組み合わせがある分子の特性を実用レベルまで再現できるのは驚きの成果と言える。

 実際にMatlantisのベータ版を試用した信州大学先鋭材料研究所の古山通久教授はオンライン会見で「私も20年近く計算化学の世界にいるが、(これまでに試した手法と比べて)圧倒的に汎用性が高いという感触だ。数千コアのCPUを3カ月占有して完了するような計算が、(Matlantisでは)合理的な精度で1秒もかからず終わる。わくわくする以外の要素がない」と語った。

2573原子の界面構造の計算を0.125秒で完了
2573原子の界面構造の計算を0.125秒で完了
(出所:信州大学先鋭材料研究所の古山通久教授)
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