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作業着をおしゃれにしたワケ

 ある日、佐藤氏がスズキの工場を訪れると、社員の作業着がいつもと違っていることに気がついた。社員が皆、新しいデザインの作業着を身に付けているのだ。布地の質感も良く、いかにも上質な仕立てのように感じた。しかし、同時に佐藤氏には疑問が湧いた。なぜ、突然、スズキは作業着にお金をかけたのかと。

 「当時、スズキは浜松市にある最上級ホテルの最上階を1年中借り切っていた」(佐藤氏)。顧客がいつ来てももてなせるようにする配慮だと、佐藤氏は修社長から聞いたという(修社長がお金を惜しまない事例の1つ)。そこで開かれたあるパーティーにいすゞ自動車の専務と共に招待された佐藤氏は、ビールで酔いが回ったのか、大胆にも修社長にこう尋ねた。

「あのドケチな社長が、どうして作業着を新しくしたのですか」

 慌てた専務が「失礼なことを言うな」と叱ったのを手で制したのは修社長だった。

「いやいや、いいんだ。その通り。よくぞ聞いてくれた」

 そう言うと、作業着を新調した理由を修社長は得意げに話し始めた。

 以前の作業着はお世辞にもおしゃれとは言えなかった。社員は私服で通勤し、会社の更衣室で作業着に着替えて、勤務時間を終えると再び私服に着替えて帰宅していた。社員のこの着替え時間に、修社長の鋭い「ケチの眼」が光った。

 なぜなら、社員が着替えている時間は作業をしていない無駄な時間だと気づいたからだ。出社しても作業着に着替えるまでは生産ラインに入れない。終業の5~10分ぐらい前になると、早く帰りたいと思う社員の中には、そわそわして仕事に身が入らない人もいる。

 「無駄な着替え時間をなくすにはどうしたよいか」。そう考えて修社長が出した答えが、おしゃれな作業着を新調することだった。当然、相当の費用を捻出する必要があった。だが、それ以上のメリットをスズキにもたらした。

 というのも、社員は皆、喜んでそのおしゃれな作業着を着て出勤するようになったからだ。着替えが不要だから、出社するとすぐに生産現場に向かう。すると、更衣室で油を売ることもなくなり、現場に遅れて来ることが減った。終業後もそのまま帰れるから、終業間際に気もそぞろになる社員が減り、時間が来るまでしっかりと働く社員が増えた。

作業着のまま夜の町に繰り出す社員

 それだけではない。更衣室のロッカースペースも小さくできた。従来は作業着に着替えるため、社員1人に対して1台の縦長(高さが1.8mぐらいと思われる)のロッカーを割り当てていた。脱いだ私服などを収納する必要があったからだ。ところが、作業着を刷新した後は、誰も私服を着てこないので大きなロッカーは不要となった。せいぜい、弁当か小物、冬期にコートや上着が1枚入れば済む。

 そこで、修社長は縦長のロッカーを撤去し、高さが半分のロッカーを1人分として割り当て、それを2段、上下に重ねた。これにより、ロッカーの設置スペースを半減させたのである。

 ロッカーが小さくなってしまって、社員は不愉快に感じなかったのか。そんな心配は無用だった。むしろ、社員の愛社精神は増した。その証拠に、退社後の夜の町に、新しい作業着のまま繰り出す社員の姿が増えたという。

 当時からスズキは有力企業として、特に地元の人気は高かった。スズキで働いているというのは、地元の人間にとって一種のステータスだったという。そのため、スズキの作業着を着ていると、「あなたは、あのスズキで働いているんですね」と羨望のまなざしで見られる。しかも、おしゃれな服(作業着)だから、なおさら堂々としていられる。つまり、新しい作業着が多くのスズキ社員のプライドをくすぐったのだ。社員はますます喜んで自宅から作業着を着て出勤するようになった。

 このように、新しい作業着に替えたことは好循環につながった。きっと、ここまでの効果があると見抜いていたからこそ、修社長はしかるべき費用を投じて作業着を上質な仕立てのものに変えたのだろう。