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最近まで専門家が独占していた、イジングマシンがWeb経由で利用可能になると同時に、各種ツールなど開発環境も急速に整ってきた。カナダD-Wave Systemsの「量子アニーリングマシン」のように、一定期間または一定の処理量であれば誰でも無料で使えるマシンも幾つかある。自分で手を動かしてマシンをとりあえず稼働、求解してみることができるため、組合せ最適化の応用事例の裾野が大きく広がりそうだ。

 イジングマシンのうち、カナダD-Wave Systemsの量子アニーリング(QA)マシンは、実は2011年の商用化の数年前から一部の研究者がインターネット経由で利用できた。このQAマシンは当初、D-Waveがあるカナダ・バンクーバー郊外にしかなかった。それが唯一のハードウエアで、しかも絶対温度で15mK程度にまで冷却する必要があることなどから、おいそれと移設もできず、インターネット経由で利用できるようにするしか選択肢がなかったからだろう。

 今は、D-Waveのマシンを購入した企業も多数あるようだが、ユーザー数が圧倒的に多いのは今もインターネット経由だろう。というのも、今は全くの素人を含む個人が誰でも、D-WaveのQAマシンのクラウドサービス「LEAP」に無料で登録でき、求解時間の合計が1分間かつ登録から1カ月間という条件で無料で利用できるからだ。曲がりなりにも量子ビットを実装したマシンに触れる機会が皆にあることになる。既に本誌記者も挑戦した 無料で使えるD-Waveマシンで、記者が組合せ最適化に挑戦

 ただし、PythonとQUBO行列の作り方の両方に精通した人でなければ、何のサポートもなしにいきなり使いこなせる人は多くはないだろう。QAマシンを本気で使うには、グラフ埋め込みの良し悪しや制約項の効き具合を決めるモデルパラメーターの値の良し悪しも自ら評価できるようになる必要もある。

各社がWebAPIを公開

 幸い、最近になってD-Wave以外の多くのイジングマシンもWebAPIを公開し始め、クラウド経由で利用できるようになってきた(図B-1)。1サイトで、5社のイジングマシンを取り揃え、各マシンの違いを吸収するインターフェースを備えたミドルウエアのようなサービスも出てきた。

図B-1 イジングマシンはクラウド経由で誰でも使えるように
図B-1 イジングマシンはクラウド経由で誰でも使えるように
専用Webサイト、あるいはWeb APIを通してイジングマシンを使えるようにしたクラウドサービスやポータルサービス。(a)のD-Wave 「LEAP」やフィックスターズが運営する「Annealing Cloud Web」および「Amplify」では誰でも無料で使えるオプションを提供している。1つの窓口で、複数のイジングマシンを利用可能にしているポータルサービス(e、f)もある。(写真:各社のWebページより)
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 こうしたポータルサイトを提供する企業の狙いは何か。例えば、各社のイジングマシンに加えて、自社開発したSAベースのGPUイジングマシンを利用者に無料で提供するフィックスターズは「イジングマシンを使える人はまだ少ない。これまで高かった利用の敷居をできるだけ下げて、プレイヤーを増やしたい」(フィックスターズ エグゼクティブエンジニア 松田佳希氏)という。実際、同社はイジングマシンの応用を考えるハッカソンを2021年春に実施した。「1次審査に合格したのは27件。中にはびっくりするぐらい若い人もいた」。優秀賞は中学生だったという。

 普及活動の労をいとわない点は、東北大学 教授で東北大学発スタートアップのSigma-i創業者でもある大関真之氏なども同じだ注B-1)。大関氏は、2021年5~7月に動画サイトの「YouTube」などで、D-WaveのLEAPを使った長時間の実習形式のチュートリアルとそれに続くワークショップを開いた。反響は大きく、「高校生を含む250人が最後まで残った」(大関氏)という。

注B-1)ここで紹介したフィックスターズの松田氏、東北大学の大関氏、Jijの山城氏はいずれもQAを世界で初めて提唱した東京工業大学 教授の西森秀稔氏の研究室の出身。起業はしていないが、やはり西森研出身の田中宗氏は現在、慶応義塾大学で量子アニーリングの研究をしている。「理由ははっきりとは分からない」(大関氏)というが、西森研出身者が結果的には量子アニーリングやイジングモデルの社会実装の強力な推進役になっているわけだ。

開発環境が急速に充実

 最近は、QUBO行列の生成支援ツールなどの開発支援環境も急速に整いつつある(図B-2)。

図B-2 イジングマシンを使いやすくするツールやクラウドサービスなどが続々登場
図B-2 イジングマシンを使いやすくするツールやクラウドサービスなどが続々登場
各種イジングマシンの使い勝手を高めるツールやコンパイラー、クラウドサービスなどを示した。最初に登場したのはリクルートコミュニケーションズが開発した、目的関数を記述するとそこからQUBO行列を自動的に生成するツール「PyQUBO」(a)。無償で利用できる。フィックスターズは、自らが運営する「Annealing Cloud Web」でイジングマシンの可視化デモページを提供している(b)。Jijは以前から提供していたイジングマシンとその利用環境のサービスを2021年夏に更新(c)。用途や目的の設定以後のほとんどの作業を自動化するサービスを提供するという。グルーヴノーツはD-WaveのQAマシンや東芝のSBMなどを利用した組合せ最適化問題の「世界初の」(同社)コンサルティングサービスを2019年3月に開始した(d)。(出所:各社のWebページ)
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 「少し以前のイジングマシンは、ミドルウエアが充実しておらず、コードやQUBO行列の生成などすべて自力でできなければ使えない、まるで60年前のコンピューターのようだった」(Jij 代表の山城悠氏)。Jijはこれを解決するためとして、2021年7月に「量子アニーリングのOS」(同社)をうたうミドルウエア「JijZept」を発表した。これを利用すると、利用者がやるべきことは実社会での用途を考えて目的を決めることぐらい。「それ以降の定式化の大部分や適切なグラフ埋め込み、モデルパラメーターのチューニングはJijZeptが『Expert as a Service(EaaS)』として専門的な水準で自動的にやってくれる」(Jijの山城氏)という。

二人三脚で考えて目的が分かるケースも

 ただし、こうしたサービスはあくまでソフトウエアなどの売り切りサービス。グルーヴノーツ 代表取締役社長の最首英裕氏は「売り切りサービスでは限界がある」とする。「何を目的として何を制約とすべきか最初から明確になっている利用者は少なく、我々との話し合いや試行錯誤の中から利用者にとって本当に必要なことが見えてくることが多い」(同氏)。

 利用者が増えてくれば、各々のニーズに合わせてこれらのサービスを使い分けるようになっていくはずだ。