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 高砂電気工業と共同で小型人工衛星用スラスター(エンジン)を開発した由紀精密(神奈川県茅ヶ崎市)。開発したのは2人の設計チームだった。宇宙工学の門外漢だった2人が、「スラスターって何?」という状況から約2年半で完成にこぎ着けたのだ。少人数、短期間での設計を実現した背景には同社内に蓄積されていた宇宙産業での知見と、社内の設計者たちの協力体制があった。(聞き手は松浦晋也=ノンフィクション作家/科学技術ジャーナリスト)

由紀精密取締役社長の永松純氏(右)と同社技術開発部開発部部長の松本幸子氏(左)
由紀精密取締役社長の永松純氏(右)と同社技術開発部開発部部長の松本幸子氏(左)
(写真:尾関祐治)
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スラスターの開発はどのように進めたのでしょうか。

松本:開発を担当したのは、私を含めて2人のチームです。この他、人工衛星の設計を手掛けた経験のある大手メーカー出身の学識経験者に顧問をお願いしました。

 実は開発チームのメンバーは2人とも宇宙工学の専門家ではありませんでした。私がスラスター開発のプロジェクトマネージャーの担当を命じられたのは2018年の入社直後でしたが、前職では半導体製造装置メーカーで設計していたので、その時点では「スラスターって何?」という状態でした。

永松:結果、実働2年半で開発しました。市場調査のため、人工衛星を製造しているベンチャー企業や研究者にヒアリングして回ったのですが、「3年もないのにスラスターを開発するなんて無理だ」と驚かれました。5年程度あればなんとかなるだろうけど、というのが大方の意見でした。

* 開発に当たっては、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「宇宙産業技術情報基盤整備研究開発事業(ベンチャー企業等による宇宙用部品・コンポーネント開発助成)」という制度に応募し、採択されて助成金を受けた。助成金を受ける際の条件として、3年以内の開発が求められた。

 それでも実現できたのは、それまでのJAXAや宇宙ベンチャー企業との仕事で社内にさまざまな知見が蓄積されていたおかげです。宇宙環境の真空状態はガンマ線が降ってくるというレベルではなく、ロケットの振動がどんなものか、振動対策として何が必要か、ガンマ線以外にも原子状酸素にはどんな注意が必要かなど、人工衛星の部品を設計するうえで求められる基本的な知見は組織として持っていたと自負しています。

 設計者数が少ないので、設計レビューには社内の設計者がほぼ全員参加しましたが、その全員がいろいろなノウハウを持っているわけです。そういう意味では、主要メンバーこそ2人ですが全社の設計者の知恵を集約して設計したと言えるかもしれません。

開発にあたってどんな点が難しかったでしょうか。

松本:触媒を使って推進剤を分解する「1液式スラスター」はノウハウの塊です。あまりお話できないのですが、まさにそのノウハウの部分で苦労しました。当社はそれまでの仕事で、「宇宙用の製品をどういうワークフローで作っていくか」という蓄積は持っていましたが、特に触媒のような化学反応を起こす仕組みは全く経験がありませんでした。

 例えばこのスラスターは、まずバルブを開けて過酸化水素をスラスターの燃焼室に吹き込みます。そこに触媒があって過酸化水素が分解され、高温のガスになって噴射されます。この時、過酸化水素の流量が多すぎたり、触媒の中を過酸化水素がスムーズに通りすぎてしまったりしたら、反応しきれない過酸化水素を噴射することになって性能が落ちます。

 触媒の種類や形状、表面の状態で反応の進行速度も変わりますし、燃焼室の形状でも反応は変化します。実験を繰り返して設計を詰めていきました。触媒は、専門の会社と相談して作ってもらいましたが、触媒もまたノウハウの塊でして、協力してくれる企業を探すのも大変でした。

実験は、実際に噴射して性能を測定したのですか。

松本:スラスターは真空の宇宙で動作しますから、真空環境で試験する必要があります。このスラスター開発のために直径800mmの真空チャンバーを製作し、それを使って試験しました。

スラスター開発のために製作した真空チャンバー
スラスター開発のために製作した真空チャンバー
(写真:尾関祐治)
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燃焼室はアディティブ製造(3Dプリンティング)で造ったのでしょうか。

松本:そうです。材質はニッケル系合金で、金属粉末にレーザーを照射して焼結するパウダーベッド方式の3Dプリンターを使って造っています。内部は複雑な形状なので、切削加工で製造するよりも工期が短縮できます。

技術開発部開発部部長の松本幸子氏
技術開発部開発部部長の松本幸子氏
手にしているのが今回、高砂電気工業と共同開発した小型人工衛星用のスラスター(写真:尾関祐治)
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具体的にどの程度短縮できるのですか。

松本:その部品にもよるのであくまで一般論ですが、例えば切削加工では完成までに1年かかる部品が、5カ月程度で造れるようになる場合もあります。切削加工では一体で造れない複雑形状を、3Dプリンターは一体で一気に出力できるからです。この利点は工期短縮に大きく効いてきます。

 切削加工で複雑形状の部品を造るには、分割して切削加工したパーツを、完成後に結合する必要があるので、3Dプリンターで造るよりも工数が増え、時間もかかるのです。

3Dプリンティングで十分な精度は得られるのでしょうか。表面に積層の跡が残るなどの問題は発生しないのでしょうか。

松本:このスラスターでは、表面精度が必要な部分は3Dプリンターで出力した後、切削加工を施しています。これも独自のノウハウがあるので具体的には説明できませんが、内部は「3Dプリンターでなければ造れない形状」になっています。