全3793文字
PR

 マテリアルインフォマティクス(MI)の進展で、さまざまな新物質の効率的な開発が可能になってきた。しかしMIが探索するのは利便性の高い性質を持つ物質であり、その物質が人間を含む生物に対して毒性を持つかどうかは別にチェックしなければならない。このチェックは法律に基づき、28日間にわたってラットに投与する「28日反復投与毒性試験」が義務づけられているなど、大変な工数がかかる。いくらMIで多くの物質候補を見つけられても、毒性チェックが新物質実用化のボトルネックになってしまう。

 その新物質の化学構造から動物試験での毒性を予測するシステムの開発プロジェクト「AI-SHIPS」が2022年3月に終了し、4月から活用促進に向けた取り組みが始まる。「希望者にはシステムをDVDで配布し、評価を依頼する予定」(経済産業省化学物質リスク評価室)。「毒性がなぜ生じるかの情報を提示できる毒性予測システムとしては、おそらく世界初」(AI-SHIPSプロジェクトリーダーを務める奈良先端科学技術大学大学院特任教授・東京大学名誉教授の船津公人氏)という。ブラックボックスにならないよう機械学習モデルを2段階で構築し、「なぜ毒性が生じるか」について情報を得られるようにした。

 このようなシステムの実用化により、動物試験の削減が期待できる。こうしたシステムが必要とされるのには、動物愛護の理念から国際的に動物試験の削減や代替が求められ「動物試験を多用して開発した物質や製品が今後国際的に受け入れられなくなる可能性が高まっている」(船津氏)という事情もある。

写真はイメージです。(出所:123RF)
写真はイメージです。(出所:123RF)
[画像のクリックで拡大表示]
* AI-based Substance Hazard Integrated Prediction Systemプロジェクト。経済産業省の研究開発事業「機能性材料の社会実装を支える高速・高効率な安全性評価技術の開発・毒性関連ビッグデータを用いた人工知能による次世代型安全性予測手法の開発」(2017年6月~2022年3月)による。

機械学習により化学構造から毒性を予測

 開発したシステムは、化学物質の構造を入力とし、生物が取り込んだ場合に発生する毒性を予測する(図1)。現在までに国内外で実施された実験結果を収集し、機械学習によって予測モデルを構築した。その際、毒性の有無だけでなく、生物の細胞の中でどのような化学反応などが起きそうかを併せて提示するため、毒性が生じる機序の予測にも利用できる。

図1 AI-SHIPSの操作画面の例
図1 AI-SHIPSの操作画面の例
化学物質の構造を扱うエディターなどで入力できる。(出所:AI-SHIPS Project)
[画像のクリックで拡大表示]

 新たな機能性化学物質を開発、実用化する上では、安全性確保のため動物での試験を含む長期の検証が必要になる。例えば28日反復投与毒性試験は、日本では1973年に制定された「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法、昭和48年法律第117号)」によって義務づけられている。化審法は、68年にPCB(ポリ塩化ビフェニール)による食品汚染によって引き起こされた「カネミ油症事件」をきっかけに制定された。

* 化審法での名称は「哺乳類を用いる28日間の反復投与毒性試験」。

 カネミ油症事件は、PCBが混入した米ぬか油を摂取した人々が皮膚の吹き出物や体調不良などを発症した事件。混入の原因は、米ぬか油を脱臭工程で250度に熱する際、熱交換器用の熱媒体として用いたPCBが、熱媒体管のピンホールなどを通して製品側に漏れ出たためとされる

* 「カネミ油症事件の経過」長崎県五島市Webサイト

 これらの検証は、化学物質を開発する企業にとって大きな負担になっており、検証に必要な時間と費用が競争力強化を妨げている。「安全性の評価に約3年もの期間が必要になり、研究費の約20%が充てられている」(船津氏)という。今後MIによって多様な新規化学物質の開発が進むとみられる中で、候補物質に対して早期に「これは毒性が高そう」などと事前に分かれば、無駄になるラットの命と企業の時間、費用をいずれも低減できるわけだ。

 そこで日本に限らず、コンピューターで化学物質の毒性を予測しようというプロジェクトが進んでいる。