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ロシアによるウクライナ侵攻は、原油や天然ガス、パラジウム(Pd)、ネオン(Ne)といった希ガスなどの燃料、鉱物資源の多くに安定供給の危機をもたらしている。EV向けリチウム(Li)イオン電池(LIB)の材料も例外ではない。高品位ニッケル(Ni)だ。2022年3月7~8日にはロンドン市場で前日の3.4倍、2020年の最安値から見ると約10倍に価格が暴騰。取引が約1週間停止する事態になった。Ni市場に何が起きたのか、今後のLIB生産に支障は出ないのかについて解説する。

 2022年3月7~8日にかけてロンドン金属取引所(LME)では前代未聞の事件が起こった(図1)。「Class 1」と呼ばれる純度99.8%以上の高品位ニッケル(Ni)の先物価格が暴騰し、8日には一時10万米ドル/トンに達したのだ。Class 1ニッケル製品は、世界で取引されるNiの約3割を占める。残り7割がClass 2と呼ばれる低品位Niで、一般的なステンレス鋼に使われている。

図1 3月8日にClass 1ニッケルが2020年の最安値の約10倍に暴騰
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図1 3月8日にClass 1ニッケルが2020年の最安値の約10倍に暴騰
LME(ロンドン金属取引所)のClass 1ニッケル製品の価格の推移。2022年3月7日に始まった急騰は翌8日には一時10万米ドル/トンを記録。その後、LMEが8日の取引をすべてキャンセルしたため、記録上は5万米ドル/トン弱で止まった。取引は3月16日に再開したが、価格が5%変動すると取引を中止する制限が設けられた。この急騰はNPI(ニッケル銑鉄)の大手生産者である中国の青山が大規模な空売りを仕掛けたことによる。仕掛けは成功せず、同社は数千億円の含み損を抱えたが、 これもLMEや取引のある金融機関によって大部分が救済された。青山は、これまでにもお騒がせの前科がある。2020年10月にNPIを精製してClass 1ニッケルにする手法を開発したと発表。翌2021年3月には10万トンのNPI由来のClass 1ニッケルを出荷したことで価格が大幅に下がった。「青山ショック」と呼ばれる。(図:米Trading Economicsのグラフ に日経クロステックが加筆して作成)

 3月7日の1営業日前の3月4日の終値は約2万9600米ドル/トンだったため、2日弱で3.4倍になったことになる。2020年の最安値の約1万米ドル/トンと比べると約10倍だ。一方、これまでの最高値は2007年4月の約5万米ドル/トンで、それと比べても想定外の歴史的な暴騰になった。この混乱にLMEは3月8日の取引時間の途中にもかかわらず、Niの取引を停止。そして8日分の売買分をすべて無効にした。LMEにおけるNiの取引は約1週間停止され、価格変動が5%を超えると再び停止になる制限付きで、ようやく3月16日に再開された。

毎度お騒がせの中国企業が引き金

 この大混乱の直接の要因は3月7日、NPI(ニッケル銑鉄)と呼ばれるClass 2のニッケル製品のメーカー大手だった中国Tsingshan Holding Group(青山)が大量のClass 1のニッケル製品の空売りを仕掛けたことによる。LMEにおけるClass 1ニッケルの取引価格は、約1年前の2021年3月以降、EV増産の機運を受けて需要がひっ迫する予測からじりじりと値を上げていた。EVで利用するリチウム(Li)イオン電池(LIB)の正極の主材料がこの高品位Niなのである。特にロシアがウクライナに侵攻した日の翌日(2月25日)以降は価格の上昇スピードが加速した。

 青山は空売りを仕掛けた理由を明らかにしていないが、その値上がりの要因を実需というより投機筋による買い占めによるものと判断したのか、大規模な空売りで投機筋の狼狽(ろうばい)売りを狙ったようだ。狼狽売りで価格が大きく下がったところで、空売りした分を買い戻せば巨額の利益を得られる。実は青山はほぼ1年前に同様のことをして、実際にLMEのNiの先物価格が大きく下がり、同水準に回復するまでに約半年を要した。これは「青山ショック」と呼ばれる。青山は取引市場でこうした仕掛けをよくすることで有名でLMEでは以前から“お騒がせ企業”と呼ばれていた。

 ところが、今回の青山の思惑は大きく外れた。価格は下がるどころかむしろ上昇し、青山および青山以外のショート(売り持ち)ポジションを取っていた企業が雪崩を打って損切り、つまり買いに走ったことで、この歴史的暴騰につながった。こうした空売り故の暴騰は「ショートスクウィーズ(Short Squeeze、踏み上げ)」と呼ばれ、株式市場などでもたまに起こるようだ。

 青山はこの失敗で数千億円規模の含み損を抱えたが、Ni市場において同社は“大きすぎて潰(つぶ)せない”存在。そのためか、LMEが取引を停止している間に、LMEや同社と取引している金融機関が一斉に救済に入り、損失の多くを事実上補填してしまった。