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 情報通信研究機構(NICT) 未来ICT研究所 バイオICT研究室の田中裕人氏らの研究グループは、溶液を与えられたバクテリアの動きを観察することで、飲み物の種類を当てたり、血液や汗の異常を調べたりできる識別技術を開発した。飲料や食品の新製品開発や、血液や汗といった検体から体調を判断するヘルステック分野などで応用の見込みがある。

 今回の技術は、多くのバクテリアが持つ「走化性」の性質を基本原理にしている。バクテリアは、彼らにとって好ましい物質(誘引物質)があるとべん毛を反時計回りに回転して近づき、好ましくない物質(忌避物質)があるとべん毛を時計回りに回転して遠ざかる。したがって1個体のバクテリアを用意してべん毛の回転方向をみれば、周囲の物質が誘引物質か忌避物質かを当てることができる。

べん毛=遊泳に必要な推進力を生み出す毛状の細胞小器官。
バクテリアの動きで化学物質を可視化
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バクテリアの動きで化学物質を可視化
バクテリアの走化性の概要。誘引物質には反時計回りに、忌避物質には時計回りに反応する性質がある。大量のバクテリアを用意して、「時計回りに回転する個体の割合」と「化学物質」の情報を紐(ひも)付けることで、化学物質を特定する。(出所:情報通信研究機構)

 今回はそれを発展させ、数千匹のバクテリア(大腸菌)の動きを解析して複雑な溶液推定を行った。観察するのはべん毛の回転方向の時間推移。溶液を与えてからの600秒間、時計回りの回転を示す個体の割合の推移を測定して、溶液ごとにデータベース化する。データベース化した後、正体不明の物質を与えた時のべん毛の動きを観察し、蓄積されたデータと照合して物質を特定する仕組みだ。人間の主観はいっさい介在しないという。基盤となる手法はベイズ推定で、機械学習も活用している。

少量サンプルで特定可能
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少量サンプルで特定可能
検出装置の外観。数千匹のバクテリアを充填し、そこに溶液を流した時の反応をみる。装置の寸法は40mm×25mm×3mm。1回の計測に必要な溶液サンプルは数10μLである。バクテリアは、1晩静置で恒温培養したものを用いる。(出所:情報通信研究機構の資料に日経クロステックが加筆)
物質の種や濃度で反応が異なる
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物質の種や濃度で反応が異なる
化学物質とバクテリアの反応の関係の一例を示した。各グラフの縦軸は「時計回りに回転する個体の割合」。物質の種や濃度により、反応に違いがあることがわかる。ここではアミノ酸を取り上げたが、単一物質の溶液である必要はなく、これらを混合した溶液でも推定できる。(出所:情報通信研究機構)

 数千匹という大量のバクテリアを用いるのは、走化性の個体差の影響をなくすため。個体によってわずかに異なる反応を示すため、個体数が少ないと個体差の影響を強く受けてしまう。大量の個体を用意して平均化すれば、同じ溶液には同じ反応を示すという再現性を確保できる。

100fpsで撮影して解析
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100fpsで撮影して解析
検出装置に充填されたバクテリアの顕微鏡写真。各バクテリアの動きを100fpsで撮影し、解析しているという。(出所:情報通信研究機構)

 この識別方法は、溶液の細かな違いを見分けることが可能だ。例えば麦茶とウーロン茶といった比較的分かりやすい識別のみならず、A社製とB社製のウーロン茶の識別、米のとぎ汁からの産地推定などができるという。同じ溶液の異なる濃度に対する反応を事前にそれぞれデータベース化しておけば、濃度を特定することもできる。

 バクテリアの動きで溶液の中身を推測する技術は以前にもあったが、NICTによればそれらの技術は物質を特定できても濃度が分からなかったり、物質が既知なうえでその濃度を調べたりなどの、限定的な推定だったという。

 一方この技術は、物質と濃度を同時に推定できるうえに、飲料のような混合溶液であっても識別することができる。つまり、与える化学物質の種類、濃度、単一か混合か、などの縛りを受けずに、さまざまな対象物で汎用(はんよう)的に利用できるメリットがある。

 気になるのはその精度だ。田中氏によれば、「識別したい化学物質によって精度はまちまち」であるという。例えば、前述の麦茶とウーロン茶の識別の場合は精度が約93%だが、ウーロン茶同士の識別では約75%と落ちてしまう。

 バクテリアが特異的な反応を示す化学物質ならば他と区別しやすいが、似たような反応データが他にもあると、当然識別しにくくなるからだ。こうした課題への対応策として、「バクテリアの遺伝子を改変することで、(特異的な反応を示す化学物質を増やし、)高精度に識別できる対象を広げている最中」(田中氏)という。