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 「インターネットは隕石(いんせき)」、「デジタル・ドリーム・キッズ」──。日本の製造業の歴史に残るであろう名言を社内外に発した、ソニー(現ソニーグループ)の元会長兼最高経営責任者(CEO)の出井伸之氏が亡くなった。偉大な2人の創業者である井深大氏と盛田昭夫氏を直接知る経営者をまた1人、ソニーは失ったことになる。

2003年の出井氏
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2003年の出井氏
「日経メカニカル(現日経ものづくり)」が同年6月に報じたソニーショックの記事の扉。(出所:日経クロステック)

 出井氏ほどフォトジェニック(写真映えする)、今風で言えば「映える」経営トップを筆者は他に知らない。長身で仕立ての良いスーツで決め、いつも整っている髪形。当時もてはやされた米国のグローバル企業の「カリスマ経営者」と並んでも見劣りしない格好良さがあった。

 記者会見を開くと、出井氏は登場するなりものすごい量のカメラのフラッシュを浴びる。真っ白くなって何も見えなくなるほどに。会見終了後は、いわゆるぶら下がり取材で出井氏に一言もらおうと記者が殺到する。それを制して出井氏を退場させようとする広報担当の社員が、若手社員に向かって「体を張って止めろ!」と叫んだのを筆者は耳にしたことすらある。まるで人気芸能人の会見のようだった。

 出井氏は1995年にソニーの社長となった。この時、「消去法で選んだ」と不名誉な言葉を前任の社長だった大賀典雄氏から浴びせられたが、これに奮起したのか、実績を積み上げて“スター経営者”にまで上り詰めていく。斬新なデザインのノートパソコン「VAIO」を大ヒットさせ、ユニークなペット型ロボット「AIBO」を市場に投入した。絶頂期は1997年度。当時過去最高の営業利益率となる7.7%をたたき出した。

出井氏の経営者としての絶頂期は1997年度
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出井氏の経営者としての絶頂期は1997年度
営業利益率が当時過去最高の7.7%に達した。日経ものづくりが2005年3月に報じた記事の扉。(出所:日経クロステック)

称賛と非難を分けた「ソニーショック」

 出井氏が会長兼CEOを退任したのは2005年。10年間、ソニーの経営トップの座にあったわけだが、この期間にまさに「天国と地獄」を味わった。どこに行っても注目され、「赤じゅうたんが敷かれる」と言われるほどもてはやされた前半に対し、後半はメディアの厳しい洗礼を浴びた。まるで手のひらを返したような世間やメディアの反応や対応には、出井氏も相当戸惑ったに違いない。

 ソニーの経営トップである出井氏に「称賛の前半」と「非難の後半」の境界線を引いたのは、あの「ソニーショック」だった。2003年4月25日の金曜日、ソニーの株はストップ安を記録した。前日に3720円だった株価が、500円安の3220円に落ちた。それでも株価の下落は止まらない。次の日も再びストップ安となり、ソニーの株価は2720円と、わずか2日で1000円も下落した。

 これが株式市場に、いわゆるハイテク株を中心とした「失望売り」を招いた。当時のソニーは日本の電機メーカーの中で数少ない「勝ち組」メーカーだったからだ。ソニーが大きくつまずいたことで、他の電機メーカーが大規模なリストラを代償に立てていた増益予想に、株式市場から疑問符が付けられたのだ。その結果、日経平均株価が2日連続でバブル崩壊後の安値を更新した。ここからソニーショックという言葉が誕生したのである。

 この一件で、ソニーを率いる出井氏に対するメディアの評価は一変した。