日本ゼオンが、欧州連合(EU)内で議論が進む多層カーボンナノチューブ(CNT)の発がん性に関する規制案に異議を唱えている。規制案は、直径や長さで定める条件に合致する一部の多層CNTに対し「発がん性物質だと推定される」という表示をEU内で義務付けるものだ。
欧州や米国メーカーが造る多層CNTは条件に当てはまらず規制対象とならない一方で、日本製の多くは規制対象となる見通し。単層CNTを手掛ける日本ゼオンは日本製CNTの印象が損なわれ、国内でCNTの開発が下火になると懸念する。同社は多数の研究を根拠に、規制の条件が妥当でないと主張している。
今回の規制案は物質の有害性などを評価するドイツ連邦労働安全衛生研究所(BAuA)が欧州化学品庁(ECHA)の要請を受けて作成し、2021年3月に同庁へ提出した*1。BAuAは「直径30nm~3µm、長さ5µm以上、アスペクト比3:1以上」の3条件全てを満たす多層CNTをGHS(化学品の分類および表示に関する世界調和システム)の発がん区分「Carc.1B」に分類するように提案している。Carc.1Bは「人に対して発がん性があると推定される」とする分類だ*2。規制案は早ければ2022年末に欧州議会で採決され、EU内で法的拘束力を持つことになる*3。
幅広いCNTをひとくくりにできるのか
CNTの発がん性を懸念する指摘はかねてあった。一部のCNTはアスベストに似た針のような形をしており、その形状ががんを引き起こすのではないかと言われている*4。実際にCNTの発がん性を裏付けるような動物実験の研究結果も複数ある*5。ただし、注目したいのが、CNTの発がん性を確認した試験の多くが「MWNT-7」という特定の多層CNTを使っている点だ。これは保土谷化学工業が2014年に製造を中止した製品で「毒性が強いことで知られていた」(免疫学に詳しい立命館大学薬学部の中山勝文教授)という。
つまり、一口に多層CNTと言っても、MWNT-7とそれ以外の多層CNTで発がん性に大きな差がある可能性が高い。実際に発がん性評価で最も権威のある機関である国際がん研究機関(IARC)はCNTの内、MWNT-7のみを「グループ2B(人に対して発がん性がある可能性がある)」に分類し、それ以外の多層CNTや単層CNTは「グループ3(人に対する発がん性について分類できない)」と分類している。
ところが、今回BAuAは、MWNT-7だけを別扱いするというIARCの分類法を踏襲せず、「直径・長さ・アスペクト比」という3要素で多層CNTの発がん性を区分しようと提案した。日本ゼオンはまず、この分類方法に反対している。
同社CNT事業推進部CNT事業技術グループの上野光保氏は「CNTの特性は3要素で定義できるものではない」と指摘する。例えば、MWNT-7は直線的な形状をしている一方で、らせん状や太さが均一でない多層CNTも存在する。加えてCNTは凝集力が強いため、単体ではなく塊で存在している場合が多い。形が違えば有害性も変わり得るが、BAuAの提案した3要素では多様な形状を区別できない。他にもBAuAの提案は、製造法やCNTに残った触媒の量など発がん性に影響する可能性のある要素を排除している。

BAuAの分類基準に従うと、IARCにより発がん性について分類できないと評価された多層CNTの一部が、発がん性が推定される物質として扱われるようになり、整合性が取れなくなる。産業技術総合研究所 安全科学研究部門 リスク評価戦略グループ 主任研究員の藤田克英氏は「IARCによるCNTの発がん性分類は、多くの論文を基に数年かけて決定した。BAuAがIARCと異なる発がん性の分類を提案するならば、相応の試験データや議論を積み重ねるべきだ」と話す。
しかし、BAuAが規制案で多層CNTの発がん性の根拠とした研究は基本的にMWNT-7を使用している。日本のナノ材料の業界団体であるナノテクノロジービジネス推進協議会はBAuAの規制案の根拠となった研究に対し、「MWNT-7を発がん物質として分類することを強化しているが、他の多層CNTに分類を拡大する十分な証拠となっていない」と意見表明した。