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 新材料開発や創薬研究などへの応用が期待される量子コンピューターで、新方式の開発が加速している。量子計算に使う基本素子を半導体技術で作製する研究で、日本は世界でもトップクラスの実力を持つ。超電導やイオン(電荷を帯びた原子)を使う他方式と比べて小型化・集積化しやすく、複雑で難しい演算にも応用できると期待する。量子技術で欧米勢に後れを取る日本だが、強みの半導体製造技術を生かして巻き返しを図る。

 量子コンピューターに半導体の集積化技術を応用する「シリコン方式」は、将来の有望技術として期待されている。複雑な演算に使えるゲート型の量子コンピューターには、現在主流の「超電導方式」や「イオントラップ方式」などさまざまな方式があり、それぞれ実用化に向けた開発が進んでいる(表1)。シリコン方式は量子計算を担う「量子ビット」の制御が難しい半面、一度技術が確立すれば半導体のように多数の素子をチップに集積化でき、大規模で実用的な演算に利用できる。

表1 ゲート型量子コンピューターの主な方式と特徴
表1 ゲート型量子コンピューターの主な方式と特徴
どの方式も一長一短で、実用化に達した方式はまだない(出所:日経クロステック)
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 大規模な量子ビットを持つ量子コンピューターは、一般的なコンピューターが苦手とする複雑な演算を高速で処理できる。素材分野や創薬分野での化学合成、金融保険分野のリスク管理、セキュリティー分野での暗号解析などへの応用を想定する。一方、量子ビットを増やして、それらを正確に制御するのは難しく、どの方式も研究の域を脱していない。

 量子ビットはノイズや誤差によるエラー(量子誤り)の影響を受けやすく、ノイズや誤りを減らせる構造の検討が重要なテーマになっている。日本の産業技術総合研究所(産総研)や理化学研究所(理研)は、シリコン量子ビットでノイズや量子誤りを減らす技術を開発している。小規模な量子ビットの開発では「理研が世界的にもトップクラスを走っている」(国内大学の教授)と評価され、将来的に基本構造の確立に役立ちそうだ。

「シリコン量子ビット」の開発が加速、産総研や理研が成果

 産総研は早くからシリコン量子ビットの開発に取り組んできた実績があり、基本構造の試作やシミュレーション技術の開発で高い競争力を持つ。2021年には半導体製造技術を応用して、FinFET構造を採用したシリコン量子ビットを日本で初めて作製したほか(図1)、世界で初めてばらつきを考慮した集積構造を設計した。産総研はシリコン量子ビットなど次世代デバイスを試作できる試作共用ライン「COLOMODE(コロモデ)」を茨城県つくば市の拠点内に設置し、2022年7月に外部組織と共同研究できる体制を整えた(図2)。

図1 産総研が試作したシリコン量子ビットの基本構造
図1 産総研が試作したシリコン量子ビットの基本構造
下図は基本構造の断面模式図。日本で初めてFinFET構造で量子ビットを作製した(画像:産総研)
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図2 産総研が開設した試作共用ライン「COLOMODE」
図2 産総研が開設した試作共用ライン「COLOMODE」
量産用の製造装置を導入し、試作・開発を迅速化できる(画像:産総研)
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 シリコン量子ビットはnm(ナノメートル)レベルの微細な素子をばらつきなく形成する技術や、ノイズを抑制する設計技術が求められる。アナログ半導体を造るのと同様に、材料や製造ノウハウがものをいう。産総研デバイス技術研究部門上級主任研究員の森貴洋氏は「日本が強みを発揮できる領域だが、世界の企業や研究機関はどこもまだスタート地点に立ったばかりだ」と話す。

 微細な回路を形成できる「EUV(極端紫外線)露光装置」の登場など、半導体分野の技術進化も追い風になっている。10ナノメートルほどの小さな領域(量子ドット)を形成し、そこに閉じ込めた電子を利用して計算する仕組みだ。米Intel(インテル)は既存の半導体製造ラインを使って量子ビットを開発しているとされる。

 理研はシリコン量子ビットを制御して誤りを訂正する実験を手掛ける。量子機能システム研究グループの樽茶清悟グループディレクターと武田健太研究員は2022年8月現在、量子ビットで誤り訂正できる技術を開発している。研究では半導体の微細加工技術を使ってシリコン上に3つの電子を閉じ込める量子ビットを開発している(図3)。この技術が実現すれば複数の量子ビットを制御して、正確な演算に利用できるようになる。

図3 理研の樽茶氏らが作製した量子ビットの電子顕微鏡写真(左)と断面模式図(右)
図3 理研の樽茶氏らが作製した量子ビットの電子顕微鏡写真(左)と断面模式図(右)
赤・緑・青の丸は量子ドット中の電子を示す (画像:理研)
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 樽茶氏は今後、量子ビット数を増やしていく計画で、3~5年以内に100量子ビットまで増やし、8~10年ほどで1000量子ビットの実現を目指す。量子ビット数をある程度まで増やせば、それぞれのユニットを連係させて、さまざまな用途に使える量子コンピューターを実現できると期待する。