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 湘南鎌倉総合病院(神奈川県鎌倉市)が救急現場のデジタルトランスフォーメーション(DX)に取り組んでいる。このたび、スタートアップのTXP Medical(東京・千代田)と共同で、救急現場における同社製モバイルアプリ「NSER mobile」の有効性を検証した。その結果、モバイルアプリ導入によって患者の受け入れ要請にかかる通話時間が2割以上短縮すると判明。アプリの活用が広がれば、医療機関側と迅速な情報共有ができ、スムーズな搬送につながる可能性がある(図1)

図1 救急現場のイメージ
図1 救急現場のイメージ
救急現場では患者の容体をメモに取って電話で病院に伝える方法がいまだに主流だ。(出所:123RF)
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 湘南鎌倉総合病院は、救急車受け入れ台数が日本一多い病院として知られる。2021年度はドクターヘリを含め1万8026台の受け入れ実績がある。TXP Medicalと実施したモバイルアプリ検証の実証研究の成果は、学術誌「JMIR Formative Research」に2022年7月6日付けで掲載された。

 検証に使ったNSER mobileは、救急隊員が使うスマートフォンやタブレット端末にインストールして使う。人工知能(AI)による入力支援機能があり、バイタルを表示するモニターをカメラで撮影して各数値を自動でピックアップしたり、救急車のサイレン鳴動中でも傷病経過を音声入力したりできる(図2)。こうした患者の情報はクラウドにアップロードされ、病院側はWebブラウザーを使ってアクセスできる。

図2 NSER mobileの画面イメージ
図2 NSER mobileの画面イメージ
音声認識や光学的文字認識(OCR)技術による入力支援機能がある。(出所:TXP Medical)
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 従来、患者の情報は救急隊員が現場でモニターを見ながらメモを取り、電話で病院に伝えるのが一般的だった。病院側は電話で聞いた情報を基に受け入れ可能かどうか判断する。NSER mobileを使えば口頭で伝えずとも患者の情報を共有できるため、より迅速な受け入れ判断、ひいては搬送時間の短縮につながる可能性がある。今回は鎌倉市消防本部にNSER mobileを実際に導入してもらい、湘南鎌倉総合病院への搬送について検証を実施した。

16週間、約2000の救急搬送で検証

 検証は2021年7月から2021年10月にかけて実施され、この期間中に発生した1966件の救急搬送が対象となった。前半8週間がNSER mobileを導入する前で1033件の搬送があり、導入後の後半8週間には933件の搬送があった。NSER mobileの導入前後で受け入れ要請にかかる通話時間などに変化が生じるかを検証した。

 分析の結果、受け入れ要請にかかる通話時間に有意な短縮が見られた。導入前の平均通話時間は216秒だったが、導入後は171秒となった。45秒、比率にして約2割の短縮である(図3)。この数字をどう評価すればいいか。

図3 救急患者受け入れ要請時間をプロットしたグラフ
図3 救急患者受け入れ要請時間をプロットしたグラフ
導入後(網掛け部分)は約2割の短縮が見られた。(出所:JMIR Formative Research 2022;6(7):e37301)
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 「もともと通話時間が短かった湘南鎌倉総合病院でこれだけ短縮できたということは、他の病院で導入すればさらに短くなるのではないか」と湘南鎌倉総合病院救命救急センターの医師で論文の筆頭著者でもある鱶口清満氏は語る。同氏によると、湘南鎌倉総合病院は急患を基本的に断らない方針のため、受け入れ判断自体に従来もほとんど時間がかかっていなかった。また病院独自のシステム構築も進んでおり、救急隊員からの通話内容を即座に電子化する体制も整っていたという。

 鱶口氏は同時に、「(アプリを使うことで)通話時間が減ることも大切だが、通話中にも患者の症状が変わる点が重要だ」と指摘する。患者のバイタルなどをデータとして受け取っていれば、電話でそれに基づいた追加問診が可能となる。そのデータを記録した時点からの変化など「その先を議論できれば、提供できる医療のクオリティーが向上するはずだ」(同氏)。

 その一例として、心筋梗塞と診断された男性患者の事例が同論文では紹介されている。救急車内のモニター画面などをアプリ経由で確認した結果、男性が病院に到着する前に心筋梗塞と診断でき、到着後10分で心臓カテーテル治療を始められたという。

 一方で、患者の死亡率や実際の搬送時間(受け入れ要請の通話時間を含む)については、アプリ導入前後で有意な差は見られなかった。鱶口氏はこの理由について「搬送のどこが律速になっているかは地域によっても様々で判断が難しい。鎌倉市の場合は搬送先が湘南鎌倉総合病院に決まるまでにかかる電話の回数が平均約1.7回と少なく、搬送時間に占める通話時間がそれほど律速になっていないと考えられる」と分析する。逆に搬送先が見つかるまでにいくつもの病院に電話をかけなければならない地域だと、1回1回の通話時間を短縮できればそれだけ搬送時間も短くなる可能性がある。