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 スウェーデン王立科学アカデミーは2022年10月4日、同年のノーベル物理学賞の受賞者に、量子情報科学の分野で功績をあげたAlain Aspect氏(フランス国立科学研究センター)、John F. Clauser氏(米J.F. Clauser&Association)、Anton Zeilinger氏(オーストリア・ウィーン大学)の3人を選出したと発表した。

2022年のノーベル物理学賞受賞者
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2022年のノーベル物理学賞受賞者
(画像:スウェーデン王立アカデミーのWebから日経クロステックが引用)

 選出の理由は、「ベル(Bell)の不等式の破れの確認に基づく、光子の量子もつれについての実験と、量子情報科学の開拓」である。最近の量子コンピューターや量子情報通信の興隆の基礎となった功績で、受賞発表前の下馬評の筆頭に上がっていた。

始まりは1927年

 今回の受賞を説明するには、少し量子力学の歴史をさかのぼる必要がある。1927年にいわゆる「コペンハーゲン解釈」で、量子の測定値(電子の位置など)が確率的に変動することはある種の“原理”だという理解が広がった。ただし、その確率自体はシュレディンガー方程式などを解いて波動関数を求めることで計算でき、半導体のように制御も可能なのである。

アインシュタインは「不気味(Spooky)」と酷評

 1935年、これに異を唱えたのがアインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの3者で、もしコペンハーゲン解釈が正しいなら、量子には非局所相関があることになると指摘した。これは物理的に離れた複数の量子間で瞬間的な相関があることを意味する。それまでの古典的物理学では「ありえない」ことで、3人の名前から「EPRパラドックス」と呼ばれた。アインシュタインらは、このコペンハーゲン解釈は不完全で暫定的な解釈にすぎず、今後の研究で確率的振る舞いの理由が判明するものと考えたのである。

 そしてこの後、1960年代半ばにかけて、古典的物理学で量子の確率的振る舞いをなんとか説明しようとするいわゆる「隠れた変数理論」がいくつも提唱された。

 ここでイギリスの物理学者ジョン・スチュアート・ベルが1960年代半ばに発表したのが、「ベルの不等式」である。実験結果がこの不等式を満たせば、隠れた変数理論が正しい。逆に、満たさなければ、コペンハーゲン解釈が正しい、という判定機になる。しかも後者であれば、量子の確率的振る舞いはある意味“宇宙の原理”であって、それを他の理論で説明することはできないということにもなる。

判定は「非局所相関あり」

 ただし、そのままでは実験自体が難しかった。今回受賞したClauser氏はこのベルの不等式を実験で検証できる形に拡張した「CHSH不等式」 論文 を開発し、1969年に発表した注1)

注1)CHSHのうち、HSHは、Michael Horne氏、Abner Eliezer Shimony氏、Richard Holt氏を指すが、Horne氏とShimony氏は既に故人。Holt氏は同姓同名の研究者が多数いて消息不明。存命であればかなりの高齢である。

 Aspect氏は、このCHSH不等式を実験的に検証し、1982年に論文発表した。結果はベルの不等式が破れている、つまり、「確率的振る舞いは原理的なもの」「非局所相関はある」という結果になった。「アスペの実験」として量子力学を学ぶ誰もが知っている功績である。これにより、2つの量子間の相関は「量子もつれ(Quantum Entanglement)」と呼ばれるようになった。特に、非局所相関は「EPR相関」とも呼ばれる。

量子もつれで量子状態を瞬時に伝送

 3人めのZeilinger氏は、遠く離れても量子もつれ状態にある2つの量子間で、量子情報を伝送できる「量子テレポーテーション†」を実験的に証明したことが功績の代表格とされている 論文 。1997年と比較的最近の発表だ。

†量子テレポーテーション=量子もつれ状態にある複数の量子間で量子状態を瞬時に伝送する技術。ただし、この技術では光速を超える情報通信はできない。量子情報自体は瞬間的に送ることができるものの、それを古典的に読み解くための“鍵”を古典的通信路を介して送る必要があるからだ。このため、原理的に盗聴ができない量子暗号通信の長距離化などへの応用が検討されている。

 ただし、量子テレポーテーションの実験に関連した論文は1994年以降、別の研究グループからも数本出されており、Zeilinger氏の研究グループの論文が「世界初」といえるかどうかはやや微妙だ。一方で、Zeilinger氏らは、3つ以上の量子間での量子もつれの研究(1997年)や2つの量子もつれの連結(1998年)、143km離れた量子間での量子テレポーテーションの実験(2012年)など基礎から応用まで幅広い分野で多数の功績をあげており、それらの功績全体が評価された可能性がある。それが「量子情報科学の開拓」なのだろう。

 ちなみに、この143kmは光で自由空間を伝送したケース。2020年には、長さ44kmの光ファイバーを介した量子テレポーテーションの実験に成功したとする論文が米California Institute of Technology(カリフォルニア工科大学、カルテク)の研究チームによって発表されており、「量子インターネット」の実現性が高まった。