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 立飛ホールディングス(東京都立川市)の「『赤とんぼ』復元プロジェクト」で九五式一型練習機(通称赤とんぼ、1935年制式採用)復刻機の設計製作を担当するオリンポス(東京都青梅市)代表取締役の四戸哲氏は、赤とんぼの実機の設計について「技術者がわくわくしながら造ったのが手に取るように分かる」と話す。

 四戸氏はさまざまな飛行機の構造に通じており、アニメーション映画『風の谷のナウシカ』に登場する飛行具「メーヴェ」をコンセプトとして、小型ジェットエンジン搭載の無尾翼機の製作を担当、人を乗せて飛行させたことでも知られる。その四戸氏が見て「こんな飛行機は他に知らない」と言うほど、赤とんぼの設計には突出した試みが多い。「技術者がわくわくしていた時代を赤とんぼ復元プロジェクトで感じてほしい」(同氏)。

 四戸氏がそう語る背景には、飛行機を開発できる技術者の層がすっかり薄くなってしまい、実質的に技術継承が断絶している2022年現在の日本国内の状況がある。航空技術力は飛行機全体の開発を繰り返すことで維持できる。その飛行機は最先端の旅客機や戦闘機である必要はなく、短い期間で開発の全過程を経験できる練習機やグライダーの方がむしろ好都合(末尾の別掲記事「三菱スペースジェットの失敗、技術者の練習不足に気づかず」参照)といえる。

 赤とんぼの詳細を見ていくと、1935年にそのような機会を得た技術者の生き生きとした姿が分かる。

技術面でぜいたくな方向で設計

 赤とんぼの製作図面は残っていないが、整備マニュアルは「印刷部数が多く、現在でもたまに古本屋に出てくる」(四戸氏)ので入手が可能(図1)。しかし、整備マニュアルに掲載されている図やスケッチ、写真などから実機の構造や細部を想像していく作業は「ものすごく大変」(同氏)である(図2)。「(想像しても分からないからと)安直にあきらめると矛盾が生じる」(同氏)ため、適当なところでとどめることもできない。

図1 資料にした整備マニュアル
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図1 資料にした整備マニュアル
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図1 資料にした整備マニュアル
中に記されているイラストなどを参考にした。(写真:日経クロステック)
図2 イラストから部品の構造・形状を推定する過程のポンチ絵
図2 イラストから部品の構造・形状を推定する過程のポンチ絵
(写真:日経クロステック)
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 そうした苦労が続いたため、「もう勘弁してくれという感じ」と四戸氏は語るが、その大きな原因が当時の設計者の意欲的な試行錯誤。赤とんぼ開発当時までの複葉機の典型的スタイルと異なるところが随所にあり、それが推定作業を難しくした。「機体のどこを見ても、技術面でぜいたくな方向で設計している」(同氏)。

 赤とんぼが開発された1935年ごろは、複葉機のスタイルはすでに確立され、次世代のセミモノコック構造(外板として羽布ではなく金属などの板を張り、機体にかかる負荷を骨組みだけでなく外板にも受け持たせる構造)のような新しい理論や、アルミニウム合金(ジュラルミン)の新しい材料など、新技術が次々と登場した時期。「新しい技術を試してみたくて仕方がなかったんでしょうね」と四戸氏は語る。

 1935年時点では、機体全体をジュラルミンで造った戦闘機や爆撃機はまだ採用されていなかったが、開発段階の複数のプロジェクトが全ジュラルミン製にする方針を採用していた。「わずか5年後の1940年に海軍が制式採用した零式艦上戦闘機(零戦)で、ジュラルミンによるセミモノコック構造の技術的なスタイルが(主翼内の脚や燃料タンクの収め方なども含めて)一通り確立した」(四戸氏)。赤とんぼの設計者が居合わせていたのは、そのように急激に技術が発展する時代だった。