SUBARU(スバル)のデジタル開発基盤「IVX-D」。走行やヘッドランプの動きなど、クルマのあらゆる挙動を仮想空間上に再現するシミュレーターで、試作・実験を減らして開発のフロントローディングを加速すべく構築された。驚くべきは、このシステムが、ほとんど1人の熟練技術者の手によって作られたこと。その人物こそ、同社が誇る運転支援システム「アイサイト」の開発をけん引してきた技術本部技監の樋渡穣氏だ。2020年に還暦を迎えた同氏。自身の電子制御技術の集大成ともいえるIVX-Dには、同氏が後身に託した”安全”への思いが込められている。
スバルの最先端の開発環境を取材すべく、筆者らが向かったのは同社本工場がある群馬県太田市。指定の住所に到着すると、そこにあったのはスーパーマーケット跡で、スバルの看板は無く、建物の中でクルマの開発が行われているとはとても思えない。建物に近づくと通用口から樋渡氏が現れた。「ようこそ、我が秘密基地へ」――。
建物内の通路を進んだ先には、もともとスーパーマーケットの売り場だったと思われる広い空間に、クルマの運転席を模した装置が数台並んでいた*1。中でも、ひときわ大きく、細部まで作り込まれた装置が、同氏が中心となって開発した車両のデジタル開発基盤「IVX-D」だ。
アルミニウム合金製のアングル材で枠を組み、その中にハンドルや、アクセル・ブレーキペダルの他、スピードメーター、ナビゲーション、ヘッドランプなど、「パワートレーン以外のほとんどの要素」(同氏)を組み込んでいる。
運転席の目の前には大型のディスプレーがあり、3Dモデルで作られた車道や街路樹、建物などの街並みが映し出されている。装置のシートに乗り込んで運転操作すると、モニターに表示される仮想空間をクルマで走行できる仕組みだ。
一見、ゲームセンターや自動車教習所などに置いてある運転シミュレーターのようにも見えるが、IVX-Dではクルマの走行以外にもボディー側の複雑なシステムの連携を再現している点で、それらとは一線を画す。
例えば、夜間走行のシミュレーションでは、モニターに映る対向車を「アイサイト」のステレオカメラが捉えると、対向車に当たるヘッドランプの光だけを遮光する機能「アダプティブドライビングビーム」が作動する*2。このとき、映像上の光の再現だけでなく、装置のヘッドランプが実際に連動する。
このように、IVX-Dを活用すれば実車さながらの走行試験を、シミュレーションで実施できる。同氏は「(ボディー側のシステムの連携を)ここまで忠実に仮想空間に再現した事例は世界に類を見ないはず」と胸を張る。
そのうえ、これらIVX-Dのシステム構築のほとんどを、樋渡氏がたった1人で進めたというのが驚きだ。