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 「今回の見直しを機に、彼らに自由が戻ればいいのだが」――。こう願うのは、日産自動車を去ったパワートレーン技術者である。かつての同僚を思い、言葉が漏れた。

 1999年に始まった日仏連合の歴史。出資比率にゆがみのあったフランスRenault(ルノー)との関係から、日産の開発陣は20年以上にわたって制約を強いられてきた。

 COO(最高執行責任者)として1999年に日産へやって来たカルロス・ゴーン氏が、着任早々からにらみを利かせたのがハイブリッド車(HEV)である。日産は2000年の発売に向けて、新型HEV「ティーノハイブリッド」の公道試験を始めたばかりだった。

日産自動車のHEV「ティーノハイブリッド」
日産自動車のHEV「ティーノハイブリッド」
同クラスのガソリン車に対して、2倍以上の燃費向上を達成するとともに、二酸化炭素(CO2)排出量を2分の1以下に削減した。(写真:日産自動車)
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 同氏はHEVに否定的で、「発売を渋っている」「すぐには採算が見込めないため、発売を見合わせるらしい」といった噂が飛び交った。結果的にティーノハイブリッドは2000年4月に購入予約が開始されたが、100台限定という制限を付けられた。HEVとしては世界で初めてリチウムイオン電池を搭載するなど、日産の意欲作だったにもかかわらずだ。

 時は流れ、舞台は日産「e-POWER」の開発現場。シリーズ方式のハイブリッド機構を世に送り出そうと技術陣が奮闘する中、ルノー側から横やりが入った。

 「シリーズ方式など開発するな。アライアンスに2種類もハイブリッドシステムは要らないだろう」。ルノーはシリーズパラレル方式のハイブリッド機構「E-TECH HYBRID」の開発を進めていた。このときは日産側が要求をはねのけたが、現場に緊張が走ったことは言うまでもない。

日産のシリーズハイブリッド機構「e-POWER」
日産のシリーズハイブリッド機構「e-POWER」
2016年11月に部分改良して発売した小型車「ノート」に初搭載した。(写真:日経Automotive)
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「日産の開発の自由度が上がる」と期待

 日産開発陣の歯がゆさを、競合自動車メーカーの技術者も感じ取っていた。元ホンダのパワートレーン技術者でWhite Hart代表の阿部典行氏は、「(ライバルから見ても)日産の技術開発はすごいものがあった」と話す。それでも、ルノーへの忖度(そんたく)もあり、開発した技術資産が眠ってしまうことも少なくなかったようだ。

 阿部氏は、「今後、日産の開発の自由度が上がるのではないか」と期待を寄せる。独立性が高まれば、過去の技術資産を再び活用できるようになるかもしれない。

 ルノーと共同で実施する開発や部品調達が減れば、技術面での日産の独自性はさらに増していくだろう。「これまでは無理してルノーの部品を使っている印象があった」(同氏)上に、「アライアンス内での調整に多くの時間を費やしていた」(ある日系部品メーカーの幹部)。ここに、日産が自由を求めたもう1つの理由がありそうだ。