“自動運転”という言葉は、いかにも未来を感じさせる魅力的な言葉だ。自動運転車ならば、居眠りしていても、外の景色に夢中になっていても、目的地まで安全に運んでくれるかのような印象がある。クルマを運転することに至上の喜びを感じる人を除けば、ドライバーが緊張感の中で運転しなければならない現在の自動車に比べると、何と快適で、便利な移動手段ができたことかと思える。
その一方で、“自動運転”という言葉ほど、サプライヤー側とユーザー側で使い方が異なる言葉も珍しい。現状の技術では、いかなる走行環境でも人手にたよることなく機械だけで運転してくれるクルマは登場していない。ドライバーの操縦を支援する安全機能を備えたクルマ、もしくは非常に限定的な環境下で自動運転が実現しているクルマがあるだけだ。一部を除き、自動車業界の企業の多くは、“自動運転”“完全自動運転”“自動運転車”といった言葉を、かなり慎重に定義して使い分けている。しかし、こうした慎重な言葉の使い分けは、ユーザーには通じていない。ユーザー側は限定的な環境だけで自動運転可能なクルマも、ざっくりと自動運転車と呼んでいる。そして、自動運転を適用可能なシーンを拡大解釈してしまう人もいる。
自動運転車による死亡事故の発生を契機に、あらためて自動運転車の安全について考えている今回のテクノ大喜利。4番目の回答者は、微細加工研究所の湯之上 隆氏である。同氏は、自動運転車の公道実験の必要性や、高度なアシスト機能の有用性は認めながらも、誤解を招きやすい“自動運転”という言葉の乱用が放置されている現状の危うさをしてきしている。
微細加工研究所 所長
