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 脱炭素化に向けた技術開発と言えば、誰の目にも再生可能エネルギーや電気自動車(EV)など分かりやすい変化に目が行きがちだ。しかし、これらの領域の技術も、現状のまま市場投入したのでは、とても脱炭素化の高い目標をクリアできないことは明らかだ。さらなる技術革新、それもこれらのシステムの性能を大幅に底上げするための材料レベル、デバイスレベルでの技術革新が求められる。

 デジタルシステムや電子機器では国際的な競争力を失った日本企業も、こと素材・材料、デバイスに関してはまだまだ高い競争力を維持している。極めて高い性能と品質が要求される半導体材料の分野で、依然として日本企業のシェアが約5割を占めているのは、その強みの証左だろう。ただし、日本のお家芸と呼べる材料やデバイスの分野にも、その強みの源泉を覆すような技術革新が進んでいる。

 世界規模の脱炭素化の波に乗るため、日本の産業界が取るべき戦略・施策について議論している今回のテクノ大喜利。7番目の回答者は、日本総合研究所の木通秀樹氏である。同氏は、脱炭素化を成功させるためには、材料やデバイス・システムの構造など、ものづくりでの技術革新が必須になることを明確に指摘。その上で、この領域は日本企業にとっての脱炭素ビジネスの勝ち筋であることは確かだが、実際に競争力を獲得するためには、デジタル化によるものづくりのイノベーションへのキャッチアップが欠かせないことを指摘している。

(記事構成は伊藤 元昭=エンライト
木通 秀樹(きどおし ひでき)
日本総合研究所 創発戦略センター 部長(IoT推進担当)
木通 秀樹(きどおし ひでき) 1988年石川島播磨重工業(現IHI)入社。1997年工学博士。ニューラルネットワークなどの知能化システムの技術開発を行い、環境・エネルギー・バイオなどの制御システムを開発。2000年に日本総合研究所に入社。再生可能エネルギー、水素などの技術政策の立案、および、再生可能エネルギー、エネルギーマネジメント、農業ロボットDXなどの新事業開発を実施。2019年より東京大学 先端科学技術研究センター シニアプログラムアドバイザー。公立諏訪東京理科大学客員教授。著書・論文に「なぜ、トヨタは700万円で「ミライ」を売ることができたか?」「大胆予測 IoTが生み出すモノづくり市場2025」「エナジー・トリプル・トランスフォーメーション」「ポスト・コロナで急成長するIoTインダストリー・エコシステム」「ダウンサイジングイノベーションによる技術進化論と産業競争力確保に向けた提言」「2050年のエネルギー転換に向けた再生可能エネルギーのグローバル流通の提案」など多数。
【質問1】脱炭素化に向けて、日本政府が真っ先に巨額投資すべき分野はどこだと思われますか?
【回答】共通基盤となる新材料・新構造などの解析・設計・製造技術

 脱炭素化で成長する市場は幅広い。だが、こうした個々の市場トレンドを考える前に、今後10年の市場発展の底流を考えなければならない。

 図1を見てほしい。これは、米国国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)が発表したDNA配列分析に要するコストの推移である。2007年ごろから7、8年でムーアの法則を大幅に上回るスピードでゲノム解析・編集などのコストが数万分の1に下がり、バイオインフォマティクスが発展する素地が整った。これは、2000年代後半からCPUのマルチコア化とHadoop(大規模データを効率的に分散処理・管理するためのフレームワーク)を用いたクラウド技術が発展し、2000年代末には人工知能(AI)も加わって、分子レベルや地球レベルなどの現象を解析するアプリケーションが進化・汎用化したことによって急展開した。同時期には、以前から注目されていたがなかなか成果が出なかったマテリアルズインフォマティクスも、次々に成果が出るようになった。

図1  DNA配列のメガベース(百万塩基)あたりのコストの推移
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図1 DNA配列のメガベース(百万塩基)あたりのコストの推移
出典:National Human Genome Research Institute

 2010年代前半までは、デジタル化というとITや通信によるサービスイノベーションのことを指していた。これが2010年代後半からは、新材料やバイオ、半導体の基盤技術の革新を促し、ものづくりのイノベーションを引き起こした。

 こうした基盤技術の革新を受け、この2、3年で、触媒や電池などの分野で新技術が多数開発されるようになった。人工光合成の研究開発は20年以上、全固体電池も10年近く早まり、数年内での実用化が見通せるようになった。

 ちょうどこの流れに乗れたのが燃料電池車の「MIRAI」だ。2008年の段階で1台1億円するといわれたのが、2014年には700万円で世界に先駆けて発売されるようになった。その大きな革新の原動力は、デジタル化技術の大幅な導入と、それを実装する技術の融合にあった。こうした分子レベルでの設計と実装の擦り合わせ技術は、日本に強みがあると言えそうだ。

 実は、脱炭素化市場の中核技術の多くは、こうしたデジタル化イノベーションが成長エンジンとなる。例えば、太陽電池、蓄電池、水素製造、水素タービン、燃料電池、合成燃料、バイオ燃料、モーター、CCU(大気に放出する前のCO2を再利用して燃料、化学品などを製造する技術)など、非常に幅広い。従来、動力や電気は燃料の燃焼などでつくっていた。これを電気化学的、生物的なエネルギーからつくるのが、脱炭素化の基本方針となる。こうしてみると、脱炭素は、現在のイノベーションの発展が神の見えざる手のように引き寄せた新市場ともいえる。

 ものづくりのデジタル化イノベーションの特徴は多様性だ。図2に示した太陽電池技術の発電効率の推移を見ても分かる通り、従来、多結晶か単結晶かと言っていた時代に対して、2000年代後半から従来は理論しかなかった各種の技術が一斉に台頭してきた。材料開発のスピードが向上することで、可能性のある多様な新技術が次々に現実化するようになったのだ。

図2 太陽電池の発電効率の推移
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図2 太陽電池の発電効率の推移
出典:National Renewable Energy Laboratory

 2000年代までは、中核技術のイノベーションが起きるサイクルは10年単位だったが、2010年代には年単位で起こるようになってきた。そのため従来は、革新的な新技術が登場すればそこに投資が集中して新産業を生み出す構造だったが、革新的な技術が次々に登場すると、投資を集中させることが困難になり、多様に張っていかざるを得なくなる。その結果、どれが勝つかということではなく、変化を常に受け入れられる経営・投資体制が必要になる。こうした技術の大変革に伴う産業構造の変革は、持続可能な経営への変革の方針と一致する。

 こうしたイノベーションを最大限に生かして、幅広い新物質や構造物で技術革新を引き起こすには、デジタル化の共通基盤技術への投資が最も効率的である。具体的には、高性能コンピューティング(HPC)、クラウドなどを活用した設計技術、設計アプリケーション開発、ハイスループットな合成設備や3Dプリンターなどの製造技術である。こうした共通基盤技術の技術革新の波に乗って、様々な分野で新材料・新構造の解析・設計・製造技術開発を行う企業が多数登場することを期待する。