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 米中ハイテク覇権争いやコロナ禍によるサプライチェーンの混乱など、半導体業界を取り巻く環境は激変している。こうした変化の中には、一過性の異常にとどまらず、変化した環境が常態化していくものもありそうだ。苛烈なリストラと積極的なM&Aで、時間をかけて事業体制の再構築を進めてきたルネサス エレクトロニクスにも、こうした事業環境の大きな変化の波が押し寄せる。半導体業界を取り巻くビジネス環境の変化を念頭に置いて、現時点でのルネサスの取り組みと明日への進路について評価・議論している今回のテクノ大喜利。2番目の回答者は、東京理科大学大学院の若林秀樹氏である。

 同氏は、高値づかみの連続と批判の声が多いルネサスのM&A戦略だが、世界的尺度からは常道だと見る。ただし、半導体業界全体を取り巻く環境が激変している中で、戦略の見直しが必要になる可能性を示唆している。そして、世界の中で同社の存在感を高めていくための方策として、設計部門と製造部門を2社分割して日本の半導体メーカーを統合する核となる策を提案している。

(記事構成は伊藤 元昭=エンライト)
若林 秀樹(わかばやし ひでき)
東京理科大学大学院 経営学研究科技術経営専攻(MOT) 教授
若林 秀樹(わかばやし ひでき) 昭和59年東京大学工学部精密機械工学科卒業。昭和61年東京大学大学院工学系研究科精密工学専攻修了。同年 野村総合研究所入社、主任研究員。欧州系証券会社シニアアナリスト、JPモルガン証券で日本株部門を立ち上げ、マネージングディレクター株式調査部長、みずほ証券でもヘッドオブリサーチ・チーフアナリストを歴任。日本経済新聞などの人気アナリストランキングで電機部門1位5回など。平成17年に、日本株投資運用会社のヘッジファンドを共同設立、最高運用責任者、代表取締役、10年の運用者としての実績は年率9.4%、シャープレシオ0.9、ソルチノレシオ2.1。この間、東京理科大学大学院非常勤講師(平成19~21年)、一般社団法人旧半導体産業研究所諮問委員など。平成26年サークルクロスコーポレーション設立、代表取締役。平成29年より、ファウンダー非常勤役員。平成29年より、東京理科大学イノベーション研究科教授。平成30年より現職(MOT)。現在、経済産業省の半導体デジタル産業戦略検討会議のメンバー、JEITA 半導体部会 政策提言タスクフォース 座長を務める。著書に『経営重心』(幻冬舎)、『日本の電機産業はこうやって甦る』(洋泉社)、『日本の電機産業に未来はあるのか』(洋泉社)、『ヘッジファンドの真実』(洋泉社)など。
【質問1】これまでにルネサスが実施したM&Aによって、世界の競合に勝つ事業体制が確立できたと思われますか?
【回答】 M&A戦略などは評価するが、米中摩擦/コロナ禍の中で前提条件は変わった。体制の再考を

 ルネサスが2017年に米Intersil(インターシル)を買収した時、業界の関係者の評判は悪かった。実際、バリエーション(株価が割安か割高かを判断するための指標)も高く、高値づかみではないかと考えていた。しかしその後、米IDTを買収するころになると考えを変えた。海外のファブレス会社と同様のM&A戦略による成長戦略であることが判明したからである。

 そもそも、日本の半導体業界がファブレス/ファウンドリーで弱いのは、M&A戦略が欠如しているからだ。こうしたM&A戦略を実行してきたルネサスは、勝利の方程式の常道を進んでいることになる。さらに、アナログ/デジタル混載のミックスドシグナル分野のパワーマネジメントICで、米Texas Instruments(テキサス・インスツルメンツ、TI)に次いでシェア2位であり、IoT向けに成長を狙える英Dialog Semiconductor(ダイアログ・セミコンダクター)の買収で、アナログ・パワーも含めた「Winning Combination」戦略であることが、より明確になり、完成形に近づいた。

 業績では成果も出ている(図1)。かつては、粗利率30%、営業利益率が数%といった状況だったが、設備投資(CAPEX)を抑えながら、研究開発費(R&D)を売り上げの18%前後に維持し、かつ稼働率も70%にとどまる中で、粗利率47%、営業利益率20%は立派だ。セグメント別では、自動車向けは粗利率40%弱、営業利益率10%強前後、産機(産業機械)は粗利率50~60%、営業利益率25%である。この産機系の粗利率は、TIに近く評価できる。

図1 ルネサス エレクトロニクスの業績
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図1 ルネサス エレクトロニクスの業績
出典:ルネサスの資料を基に筆者が作成

 もっとも、バランスシートでは、のれん、有利子負債、資本が、ほぼ6000億円前後ずつであり、のれんと無形固定資産で1兆円弱まで膨れ上がっている。それが、今回のDialog買収で、のれんだけで1兆円を超え、財務的には悪化することになる。米国では、M&Aの多くは株式交換を活用して行われるが、米国に比べ、低いバリエーションでは難しい。ただし、ルネサスは、日本の自動車産業に不可欠な存在であり、INCJ(産業革新機構注1))などのサポートもある。これは、米国のファブレスが、投資銀行やファンドによるサポートを受けているのと同様の状態であると言える。

 M&A戦略に呼応し、会計基準やIR開示も変わった。すなわち、18年からの国際財務報告基準(IFRS)への移行とNon-GAAP(GAAPは一般に公正妥当と認められる会計の基準)の開示である。利益の4割が海外のM&Aによるものであるため、米国の株式市場と同様、四半期決算ガイダンスではNon-GAAPの数字が投資家の関心になってくる。ここで重要なのは、GAAPとNon-GAAPの営業利益率の差異である。この5年間の平均では前者が9%であるのに対し、後者は15%と高い。投資家は、主としてNon-GAAPに注目しており、これによって株価が形成され、株式交換などの戦略がやりやすくなる。もちろん丁寧なGAAPとNon-GAAPの差異の補足資料も開示されている。

 しかしながら、米中摩擦やコロナ禍の中で、サプライチェーンが混乱、台湾TSMCへの依存が課題となり、同社の事業を取り巻く環境は変化している。今後、車載系でも、より微細化が進み、依存度は高まる上、アナログやパワーの需要が増えれば、ファブの問題が大きくなる。また、産機やインフラ、特に高電圧系やパッケージ、モジュールの重要性が高まり、リソース配分の見直しも必要になるだろう。世界のサプライチェーン変革、コンボ戦略、産機やインフラ対応の中で、従来のファブレス/ファウンドリーモデルに基づく事業体制では対応が難しい。

■脚注
注1)現在は、産業革新投資機構(JIC)もその役割を期待されている。