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 「我が社は、明確な定性分析ができる点が特徴」。これは、かつて筆者が金融系シンクタンクのアナリストが自社の分析体制の訴求点を語る中で聞いた言葉である。金融業界で起きる現象は、数字の変化として現れて当たり前で、その数字の変化の背後にあるリアルな世界の動きの質を見極めることが重要だというメッセージである。確かに数字の上での合理性は重要だが、それだけでは正しい判断はできない。

 半導体産業を取り巻くビジネス環境の変化を念頭に置いて、現時点でのルネサス エレクトロニクスの取り組みと明日への進路について評価・議論している今回のテクノ大喜利。5番目の回答者は、立命館アジア太平洋大学の中田行彦氏である。同氏は、ルネサスがこれまで実施してきたM&Aは、机上の合理性があったとしても、実際に半導体産業で競争力を高める効果があったかは不明確であると強調。半導体産業を取り巻く環境が激変していく中で、ビジネスの現場で起きる質的変化に注目しながらの舵(かじ)取りの重要性を論じている。

(記事構成は伊藤 元昭=エンライト)
中⽥ ⾏彦(なかた ゆきひこ)
⽴命館アジア太平洋⼤学 名誉教授
中⽥ ⾏彦(なかた ゆきひこ) 神⼾⼤学⼤学院卒業後、シャープに⼊社。以降、33年間勤務。液晶の研究開発に約12年、太陽電池の研究開発に約18年、その間、3年間、⽶国のシャープアメリカ研究所など⽶国勤務。2004年から⽴命館アジア太平洋⼤学の教授として、技術経営を教育・研究。2009年10⽉から2010年3⽉まで、⽶国スタンフォード⼤学客員教授。2015年7⽉から2018年6⽉まで、⽇本MOT学会企画委員⻑。2017年から⽴命館アジア太平洋⼤学 名誉教授・客員教授。2020年から名古屋商科大学非常勤講師。京都在住。
【質問1】これまでにルネサスが実施したM&Aによって、世界の競合に勝つ事業体制が確立できたと思われますか?
【回答】「ファンドは鬱陶(うっとう)しい」が、M&Aの効果を引き出す取り組みは端緒に就いたばかり

 「半導体は清々しい」。これは、ルネサス柴田英利社長のあるインタビューの中での発言だ。

 この発言を、同氏の出身母体である官民ファンドの視点から裏返して見ると、「ファンドは鬱陶しい」と言っているようにも見える。これが、ルネサスがM&Aに積極的に取り組んできた理由と、そこに内在する問題点を考える際の起点となる。

 柴田社長と似た状況にある、ファンドからベンチャーの経営立ち上げに派遣された経営者の事例を、私は調査したことがある。スタンフォード大学の客員教授をしていた時に、シリコンバレーの太陽電池ベンチャーを調査した。カリフォルニア州メンローパークにある有名なベンチャーキャピタルのファンドが、太陽電池ベンチャーに出資していた。そのベンチャーキャピタルは、投資したこと自体がニュースになるほど有名だ。同じベンチャーに投資すれば、もうかる確率が高いと考える投資家が多いのだ。

 ただし、シャープで薄膜太陽電池を研究開発した経験から言うと、そのベンチャーの成功確率は低いと思えた。出資を担当したファンドマネージャーが、ベンチャーの経営を立ち上げるために派遣されていたのだ。彼は、課題を改善する案を説明してくれた。しかし、それは技術コンセプトの効果を薄めて課題を解消していく方法であった。ファンドには精通していても、技術の現場を理解していない弱点があったのだ。

 そもそもルネサスがどのように生まれ、官民ファンドが関与してきたかを振り返っておく。

 ルネサスは、三菱電機および日立製作所から分社化していたルネサステクノロジと、NECから分社化していたNECエレクトロニクスの経営統合によって、2010年4月に設立された。その後、ルネサスは、東日本大震災や円高で経営危機に陥り、破綻の瀬戸際に追い込まれた。そして、12年12月に官民ファンドの産業革新機構(INCJ)やトヨタ自動車、日産自動車などからの金融支援を受けた。これが官民ファンドから支援を受ける始まりである。産業革新機構は、09年7月に政府主導で設立された官民ファンドである。

 ルネサスは、大幅人員削減や工場売却などで14年3月期に初めて最終黒字となった。16年6月には、呉文精氏が代表取締役社長兼CEOに産業革新機構の主導で就任した。同氏は、自動車部品カルソニックカンセイ社長や日本電産副社長の経験を買われたのだ。

 呉氏が自身の経験を基に描いたのは、M&Aによる拡大路線である。その結果、有利子負債が大きく膨らんだ。国内再編を重視する経済産業省は、海外企業の大型買収を進める呉氏の経営姿勢を問題視。19年になって、呉氏は株主総会での再任から約3カ月にもかかわらず、6月30日付で退任すると発表された。経産省とINCJの意向が解任に影響していると考えられる。なお、この間に、産業革新機構は、ルネサス株を17年~18年に段階的に売却し、約4800億円の売却益を得ている。

 その後任として、現在のCEO(最高経営責任者)である柴田英利氏が、最高財務責任者(CFO)から昇格した。柴田氏は大学卒業後、JR東海に入社し、2009年に官民ファンドの産業革新機構に入社した。産業革新機構がルネサスへの支援を決めた時の投資責任者で、2013年にルネサス取締役に転じたのだ。

 呉氏、柴田氏の経営は、半導体事業の経験がなく、自らの得意なファンドのセンスでM&Aに過度に依存している問題がある。これが、柴田社長が「半導体は清々しい」と言った背景にある。

 産業革新機構を改組した産業革新投資機構(JIC)が、18年9月25日に発足。また、産業革新機構から新設分離する形でINCJが発足し、その全株式をJICが保有することとなった。JICは、報酬問題や投資方針も含め、経済産業省との意見の相違が大きく迷走したことがあった。

 このINCJを出身母体とする柴田社長には時間がないという大問題がある。INCJは、時限的な組織であり、25年3月末で消滅することになっている。ファンドは、企業を買収してから業績を立て直して売り払う。INCJ出身の柴田社長にとって、売り払って利益を上げるまでの時間が3年半しかなく、その実現は厳しい。ルネサス工場の火災は、想定外の事態で、大切な時間を消耗した。

 ルネサスの21年上半期(1月~6月)における車載用半導体事業は、新興の自動車メーカーからのデザインイン(商談獲得)が好調とのことである。しかし、ファンド視点のM&Aは、まだ端緒に就いたところであり、競争に勝つ事業体制の確立は今後の課題であると思う。