SNSなどネット上の空間は、私たちのリアルな生活の場とは異なる、非日常の場であるかのように語られることが多い。しかし、デジタルネーティブの中には、ネット上の空間こそが主たる生活の場であり、現実世界は自分らしい生活をしている場ではないと感じている人もいるのではないか。
そして今、世界は、メタバースという、より汎用性が高く、より大きな可能性を持つ別の生活空間をつくろうとしている。近未来の人びとにとってのメタバースは、鏡に映る向こう側の世界ではなく、現実世界と地続きの生活空間となるのではないか。
2022年の話題の一つになると思われるメタバースを論じ、市場の見通しを考える際の論点を、期待とリスクの両面からブレーンストーミングしているテクノ大喜利。今回の回答者は、アーサー・ディ・リトル・ジャパンの三ツ谷翔太氏である。同氏は、現実と仮想のつなぎの巧拙や現実の論理や枠組みによる仮想世界のしばりが、メタバースの価値を大きく左右することを指摘。その観点から、関連市場の行方や懸念などを洞察している。
アーサー・ディ・リトル・ジャパン パートナー

メタバースの可能性は幅広い。SNS(交流サイト)の進化版としてバーチャル空間に世界をつくり出すようなことも可能であろうし、また「ポケモンGO」のような形でリアル空間にバーチャルを持ち込む・重ね合わせていくようなことも可能だろう。ゆくゆくはその両方が混ざり合った世界が可能となる。
一方で、キラーアプリについてはさまざまな議論があるだろう。ここでは価値の受益者の観点から、民生向けとビジネス向けの両方の観点から考えたい。
まず、民生向けとしては、究極的にはコンテンツの出来に依存することになる。ゲームにせよ、コミュニケーションにせよ、そこで提供される強力なコンテンツを提示できるか、また、それを活用してこれまでのインターフェースではできなかった体験ができるかどうかが重要になる。
個人的に注目したいのは、ビジネス向けの可能性だ。その究極は、街全体をメタバース上に再現することではないか。つまり、バーチャル上に再現された街でダイナミックにさまざまな実証をしたり、また超大量のシミュレーションを重ねることで街の運営を最適化したりするような応用だ。また、リアルな街に、拡張現実(AR)を通じて仮想的にコンテンツを重ね合わせて、その街らしさや非日常性を演出することも可能である。つまり、メタバースは街にとっての新たなコモンズ(共同利用地)として、街をより楽しく豊かにしていける可能性がある。