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 にわかに注目度が高まっているメタバースの中核技術の1つが、VR(仮想現実)技術である。VRは、過去にも新たな応用が広がり、巨大な新市場を生み出すのではないかという期待感があった。しかし、ゲームや商品設計など一部の応用を除いて、なかなか巨大産業を生み出す種とはならなかった。その原因の1つとして、技術的に未成熟だったことも挙がるだろうが、VRによって今までとは違う何かができるのか、一般消費者がいまひとつピンときていなかったことがあるのではないか。「家に居ながら海外旅行ができる」と言われても、「実際に旅行に行った方がよほど楽しい」と思う人がほとんどだろう。

 こうした状況は、コロナ禍を境に一変したのではないか。世界中の多くの一般消費者が、実際に出歩き、人と合うことを制限された。そして、ネット会議システムなどを多くの人が活用して、デジタルメディアでなければできないことと、現時点では技術的に実現できていないことが何であるのかを実感した。こうした市場が温まったタイミングで、技術的にも十分な性能を持つVRが実現できれば、驚くようなハイペースで応用の広がりと市場の成長が進むかもしれない。

 メタバース関連市場の見通しを考える際の論点を、期待とリスクの両面からブレーンストーミングしているテクノ大喜利。今回の回答者は、東京理科大学大学院教授の若林秀樹氏である。東京大学大学院工学系研究科でホログラフィーを研究していた同氏は、技術経営の視点から、メタバースのキラーアプリケーションについて考察している。また、今後、進化・発展していく可能性がある技術についても網羅的に挙げている。

(記事構成は伊藤 元昭=エンライト)
若林 秀樹(わかばやし ひでき)
東京理科大学大学院 経営学研究科技術経営専攻(MOT) 教授
若林 秀樹(わかばやし ひでき) 昭和59年東京大学工学部精密機械工学科卒業。昭和61年東京大学大学院工学系研究科精密工学専攻修了。同年 野村総合研究所入社、主任研究員。欧州系証券会社シニアアナリスト、JPモルガン証券で日本株部門を立ち上げ、マネージングディレクター株式調査部長、みずほ証券でもヘッドオブリサーチ・チーフアナリストを歴任。日本経済新聞などの人気アナリストランキングで電機部門1位5回など。平成17年に、日本株投資運用会社のヘッジファンドを共同設立、最高運用責任者、代表取締役、10年の運用者としての実績は年率9.4%、シャープレシオ0.9、ソルチノレシオ2.1。この間、東京理科大学大学院非常勤講師(平成19~21年)、一般社団法人旧半導体産業研究所諮問委員など。平成26年サークルクロスコーポレーション設立、代表取締役。平成29年より、ファウンダー非常勤役員。平成29年より、東京理科大学イノベーション研究科教授。平成30年より現職(MOT)。現在、経済産業省の半導体デジタル産業戦略検討会議のメンバー、JEITA 半導体部会 政策提言タスクフォース 座長を務める。著書に『経営重心』(幻冬舎)、『日本の電機産業はこうやって甦る』(洋泉社)、『日本の電機産業に未来はあるのか』(洋泉社)、『ヘッジファンドの真実』(洋泉社)など。
【質問1】メタバースのキラーアプリは何だと思われますか?
【回答】全身五感遠隔コミュニケーション(情欲)支援産業と教育

 人の最も強い欲求は、家族や恋人など好きな相手に会いたいというものであろう。それは、遠く離れていればいるほど切実なものになる。その満足度は五感いっぱいに体全身で享受できる場合に最大になる。見たい、聴きたい、触りたい、匂いを嗅ぎたい、味わいたい、これは動物の根源的欲求でもあろう。

 米ズーム・ビデオ・コミュニケーションズ(Zoom Video Communications)は、創業者 Eric Yuan氏が、中国在住時、恋人に会うときには10時間電車に乗らねばならないもどかしさからビデオ会議システムを夢想したことから生まれたイノベーションであるという。しかし、Zoomは、五感のうち、視覚と聴覚だけであり、正面からの視点しかなく、没入感に乏しく、臨場感には程遠い。スキンシップもない。

 それがメタバースにより、あたかも隣にいるような見え方、立体的な聞こえ方、ハプティック(触覚)で手を握り、肩を抱きしめられ、匂いも再現、全身で双方向五感を享受できるようになる(表1)。バーチャルスーツを着たり、ボリュメトリック(Volumetric:撮影画像から3D空間を再構成する技術)個人用ポータブルスタジオに入ったりすれば、「2人」で、世界のどこでも、過去から未来まで、自在な旅に出て、映画の物語の主人公になれる。そうなれば、現実世界以上だ。

表1 メディアで扱える五感情報とそれが実現した際の市場規模
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表1 メディアで扱える五感情報とそれが実現した際の市場規模
出典:著者が作成

全身五感遠隔コミュニケーション(情欲と出会い)支援

 そうしたメタバース時代に、次の欲求は、恋人がいない人間の切実な要求である出会いとなる。それをメタバースで支援・提供する。これが第1のキラーアプリである。

 思えば、昭和では、出会いは、道端というリアル空間での偶然だった。また当時、会うための手段は手紙か公衆電話。それゆえ、渋谷のハチ公での待ち合わせの悲劇や、1950年代の名作ドラマ「君の名は」での数寄屋橋のすれ違いも、スマホがない時代が生んだ物語である。

 平成になり、ダイヤルQ2が登場。日本でケータイが普及したのは男女の「出会い」が背景にあったという。パナソニックとソニーが争った「VHSとβの標準化争い」も、表側のイノベーション論の裏では、アダルトビデオの普及度合いも鍵になった。PCやゲームのディスプレーの解像度アップは、ギザギザ模様では興ざめだからであろう。オリエント工業が提供するリアルな愛玩人形は、3D造形、柔らかな感触のシリコーン素材の支えがあってこそだ。実は、アダルト産業とハイテクの関係は深い。

 それゆえ愛欲の対象やコミュニケーション手段は、人形からアニメ、さらにメタバースが提供する疑似空間となる。全身で双方向五感を享受できるバーチャルスーツを着れば、相手は、実際には、老人や男性、人形かロボットでも、美しいお姫様になる。これは、既に映像では存在している。それが臨場感とともに、声も同じ、体を触っても、匂いを嗅いでも同じ、行動もそうであれば、もはや区別はつかない。本人でないのに、実在の憧れの君でも、歴史上の美女でも、亡き恋人でも自由自在だ。

 これは、ハンディを持つ多様な人々や高齢者の、生き物ゆえに避けられないひそかな大問題の解決にもなるだろう。

 最も素晴らしいものでもあり、恐ろしいものは、人間の情欲、愛欲であり、これは歴史の残酷な事実である。それとハイテクは切っても切れない。それゆえに、イノベーションのけん引役にもなる。また、犯罪を減らす可能性もある。後述するように、不倫や風俗犯罪の定義にも影響するが、リアルよりはるかに、疫病感染なども含めて安全だろう。

 そして、メタバースのIT技術に、さらにバイオテクノロジーが融合すれば、精子バンク、卵子バンクから、DNAデータを交換することで子供をつくることができるかもしれない。

教育に必要なのはエンタメ性、教育空間はゲームや映画と重なる

 もう一つの大きなキラーアプリは、教育だ。既に、われわれ東京理科大学のMOTでも、Zoomを使ったハイブリッド講義を導入しており、リアル参加者もオンライン参加者も同様の没入感を得られるように、ソニーと米ボーズ(Bose)のシステムを使い複数のAI(人工知能)カメラで教室の雰囲気を共有している。しかし、まだまだだ。メタバースになれば、教室も、フラットな顔出し画面だけでなく、階段教室、大教室など、講義内容や履修者によって、背景環境を切り替えられる。

 また、スポーツ観戦と同様に、あらゆる自由視点から講義の様子を再現できる。「鳥の目」「虫の目」「魚の目」というが、教室全体を俯瞰(ふかん)、タイミングをみて発言者や教科書にフォーカス、教科書のグラフや映像を大きく映し出す。ハーバード大学のサンデル教授の授業のような、教員と学生のホットなやりとりは、エンターテインメント性も十分だ。そこでは、授業なのか、ゲームなのか、映画なのか、区別はなく、楽しみながら、効果的に学べるだろう。

 海外との大学の講義との連携も可能だ。東京理科大学のMOTの講義を聞きながら、マサチューセッツ工科大学(MIT)や清華大学ともつながり、皆で議論できる。世界から、ゲストスピーカーとして、経営者が登場し、ディスカッションもできる。そこでは、亡きカリスマ経営者と現経営者の討論や、亡き名物教授から古典を聞くことも可能だ。

 世界の工場見学も可能だ。プラント工場で配管の中に入り、流量を実感する。クリーンルームの中に入り、半導体の微細加工の様子も見える(実は、既にVR工場見学は人気であり、筆者は2年前に加賀東芝エレクトロニクスの工場をVR見学したほか、NAND型フラッシュメモリーの階層構造をミクロ視点で確認した)。

 日本人にとって問題の語学も、自動翻訳で全く問題がない。唯一の問題は時差だが、これも、イノベーションで、時差を超えて、知識と感動を共有できるかもしれない。さらに、学生の好みに応じて、授業のスピードや難易度、内容をAIが判断して提供してくれる。好きな教授のリストから、内容や、雰囲気など、自身で組み合わせて、ベストな教授を作れる。それは、教室での授業もあれば、個人授業、少人数のゼミも思いのままだ。

 既に、コロナ禍とオンライン遠隔講義で、大学は大きく変わりつつあるが、メタバースに向け、この動きは一層加速化しよう。今は、実験や実習は、対面だが、今後は、それもかなり変わるだろう。食事やサウナ、温泉、ある種の運動など、物質やエネルギーのやりとりを伴うエンタメ以外は、どんどんメタバースになっていくかもしれない。