子どもたちの憧れ(あこがれ)の職業として、YouTuberが挙がる時代になった。自分が興味を持つ分野の動画を、誰に指図されるわけでもなく制作し、うまくいけば大金持ち。確かに、あこがれる気持ちも理解できる。ただし、自由気ままに見えるYouTuberだが、神経質に顔色をうかがわなければならない存在が一つだけある。YouTubeの運営である。
YouTubeには、動画公開時のオープンなルールがある。しかし、動画を公開し続けるのか、収益化を許すのかの判断は運営のさじ加減である。このため、YouTubeの中では、収益化が剝奪されてチャンネルの維持ができなくなったといった騒ぎが頻繁に起きる。大きな包容力を持つプラットフォームだが、公器であるように見えて、実際には企業の論理で環境ががらりと変わりかねない、意外とレジリエンスの低い場なのかもしれない。
そんな事情を抱えるプラットフォームが最盛期を迎えている中で、次の魅力的なバーチャル新世界として出てきたのがメタバースである。そこは、本当に自由な空間なのか、はたまた独裁体制下で統治される世界なのか。メタバース関連市場の見通しを考える際の論点を、期待とリスクの両面からブレーンストーミングしているテクノ大喜利。今回の回答者は、メタバース関係者と言えるKDDIの中馬和彦氏である。同氏は、メタバースは、巨大プラットフォーマーでも手に余るような世界になるとみているようだ。
KDDI 事業創造本部 ビジネスインキュベーション推進部長

メタバースのキラーアプリを語る前に、今後多くのメタバースが乱立することが想定されることから、どのようなメタバースが支配的となるかについて触れておきたい。勝ち組となるメタバースは、クリエーターエコノミーに根差したUGC(User Generated Contents:ユーザー生成コンテンツ)ベースのオープンなメタバースが主流になると考える。
現状ではプラットフォーマーのみがコンテンツを提供するクローズなメタバースが主流である。ただし、ユーザーがクリエーターとなりコンテンツを供給するオープンなコミュニティーは、その経済圏が加速度的に広がる構造を持つ。プラットフォーマー1社が牛耳る経済圏では太刀打ちできない規模に成長するものと想定される。
さて、メタバースにおけるキラーアプリだが、メタバースの特徴は双方向でのアバターコミュニケーション、つまりリアルタイムアプリケーションが前提になっている。ただし近い将来、機能的なものに関してはボットなどに置き換えられていくことになるだろう。
一方で、現在ネットの世界で最も熱量が高いアプリケーションはライブ配信サービスである。このトレンドを受ける形で、メタバース上でもリアルタイムアプリケーションであるライブ配信が主流になるのではないか。
ただし、現状は映像のストリーミング配信の形態であるためライブ配信と呼ばれるが、メタバース上では配信者とオーディエンスが同じ空間を共有することが可能となるため、1対Nの配信というより、ライブアクトと呼ぶ方が適切であろう。ライブアクトと聞くと音楽などエンターテインメントに限定されたユースケースのように思われるが、この仕組みを使ってライブコマースや、イベントなどリアルな街に準じたような利用シーンが多く見られる世界が広がることを期待している。