日本は、素材大国である。高度な化学、材料技術を基に、他国の企業では生産できないような多種多様な高品質素材を生産している。その効果が、ビジネス面での競争力に最も反映されているのが半導体産業である。他産業とはケタ違いの精密加工を行う半導体産業には、日本企業が寡占状態にあるものが数多くある。例えば、ウエハーの56%、素子構造や配線の平坦化に利用される化学的機械研磨(CMP)の研磨剤(スラリー)はポリシリコン用では65%、ウエハー用では85%、洗浄工程などに用いるフッ化水素酸は83%、最先端の露光技術であるEUV露光向けレジストに至っては100%、日本製である。
ただし、こうした強みを論じる際に忘れてはいけないことがある。日本の素材産業は、加工産業であるということだ。素材と聞くと、いかにもサプライチェーンの最も川上に位置しているように感じる。しかし、日本企業は、素材を生産する際に用いる原料の多くを輸入に頼っている。日本の素材産業よりも川上で供給不安が起きれば、強みは霧散する。
ウクライナ危機が電子産業やIT産業に及ぼす影響を議論しているテクノ大喜利。今回の回答者は服部コンサルティング インターナショナルの服部 毅氏である。同氏は、ウクライナ危機によって、さまざまな原料の供給が滞る可能性があることを指摘。そして、供給不全の影響が中国など他国にも波及すれば、日本の素材産業の強みが消えかねないとする。そして、半導体用素材のサプライチェーンの構築に注力する韓国を例に、日本も現在の強みを維持するためのサプライチェーンを再構築する重要性を説いている。
服部コンサルティング インターナショナル 代表

ロシアやウクライナは資源大国である。EUを中心に、世界はロシア産の石炭をはじめエネルギー資源を制裁対象にする方向にある。ウクライナのゼレンスキー大統領は2022年4月7日のビデオ演説で、「民主主義国家はロシア産(石炭だけではなく)原油や天然ガスの購入を拒否すべきだ」と述べ、「ウクライナ支援国が禁輸措置で迅速に合意できていないためにウクライナの人々の命を奪っている」と世界に向けて訴えた。しかし、ロシアのウクライナ侵攻に反対する国々は、日本を含めて原油や天然ガスは産業界や一般市民生活に直接影響があるだけに制裁をしたくてもなかなかできそうにはない(2022年4月13日現在)。
東京ガス 代表執行役社長の内田高史氏は、ロシア産天然ガスの輸入に関して「既に2031年まで購入契約を結んでおり、解約したら調達相当分の違約金を払う取り決めになっている。もしも途切れたら安定供給が崩れてしまう」と述べ、撤退しない考えを示した。円安で値上がりを続けてきた原油や天然ガスの価格がウクライナ危機による世界的な供給不足懸念で短期売買市場ではさらに高騰している。エネルギーコストが上がれば、発電コストが上がり、工場の製造コストが上がり、製品価格に跳ね返り、交通機関の運賃が値上がり、物品の運輸コストが上がり、すべての産業や日常生活に影響が及ぶ。日本では、石炭は主にオーストラリアやインドネシアなどから輸入しており、一般的にはロシア依存度は低い。しかし、セメント業界が使う石炭に限っては、伝統的にロシア依存度が高い。このため、セメントが値上がりするようなことが起きれば建設コストが上がる可能性があるという。
非鉄金属も値上がりが加速
資源が豊富なロシアへの制裁で、非鉄金属の値上がりも加速している。ロシアは、中国に次いで世界第2位のアルミニウム(Al)生産国である。自動車の車体に使われるアルミの価格は2割以上、電池に使われるニッケル(Ni)は2倍以上に値上がりしている。「有事の円」は過去の話で、いまや「有事のドル」とばかりに円売りドル買いが進み、円安加速で海外から輸入する原材料の調達コスト高で、新車は納車半年待ち、中古車も新車と同価格という異常事態が起きているという。ロシアやウクライナは、非鉄金属だけではなく鉄鋼製品の輸出国であるが、これらの金属は他国でも製造されているため当面は大きな影響はない。ただし、戦争が長期化すれば、供給の先行き不安やほかの調達先からの奪い合いで国際価格が高騰する可能性が高い。
自動車のワイヤハーネスは、製造に人手を要するため、欧米自動車メーカー向けは人件費が安いウクライナはじめ東欧で製造されている。ウクライナにはワイヤハーネス工場が17もあると報告されている。日本の自動車メーカーは、ベトナム、フィリピン、インドネシア、中国などアジア諸国から輸入しているが、ウクライナ危機以前から、新型コロナウイルス感染症のまん延で、東南アジアや中国のワイヤハーネス工場の稼働率が落ちたり一時的操業中止が発生している。これにウクライナ危機が加わり、世界的なワイヤハーネス供給不足に陥っており、世界レベルで新車の納期遅れが続出している。
半導体製造で使われるネオンガスやパラジウムも入手難
半導体製造におけるリソグラフィー工程でエキシマレーザー露光に使われる高純度ネオン(Ne)ガスも、ウクライナが世界シェアの7割を占めており、工場の操業停止で輸出が途絶えている1) 。原料のNeガスは、ウクライナがロシアの鉄鋼業から輸入し精製しているという。Neは、空気中に極微量含まれており、鉄鋼製造の際の副産物(空気分離で純酸素抽出の際に同時に抽出)として得られる。このため、鉄鋼業が盛んな中国から輸入するという代替策はあるものの、中国がロシア支援を表明するようなことがあれば、米国政府が中国制裁に乗り出し、中国からのネオン輸入ができなくなるかもしれない。
白金族の貴金属であるパラジウム(Pd)は、ロシアが世界シェア4割を占めている。ロシアに対する経済制裁で、歯の治療で使う銀歯(Pd合金)などの原材料費が高騰して歯科医院の経営を圧迫して悲鳴が上がっている。厚生労働省は歯科治療用Pdの公定価格を22年5月に引き上げる検討をしている。ウクライナ危機で、一般市民の虫歯治療にも影響がすでに出ている。
Pdは、水素のみを透過する能力に優れた金属であり、半導体やLEDの製造に欠かせない超高純度水素ガス製造、燃料電池の水素製造などに使われている。これらの製造にも支障をもたらす可能性が高い。
穀物の値上げが日常生活を直撃
ロシアおよびウクライナは、穀物、特に小麦大国でもある。米国の不作や円安で小麦の日本政府売り渡し価格が17%余り上がり、パンやうどん、パスタの価格が値上がりしているところに、ロシアやウクライナからの小麦の先行き供給不安が重なり、国際価格がさらに値上がりしている。日本はロシアやウクライナからは輸入していないとはいえ、国際価格高騰の影響を受け、小麦価格はさらに上昇するだろう。「日本そば」のそば粉も実はかなりをロシアやウクライナに依存しており、蕎麦(そば)屋のメニューが値上がりしている。そばの生産高世界一は中国で、ロシアが第2位である。調べてみたら日本は100年以上にわたりそば栽培が減少の一途をたどっている。世界一の中国も、米国から輸入しにくくなってきた大豆やトウモロコシの国内生産に注力しているため、そばの作付け面積が減少している。国連が発表した主要食品指数は、3月に過去最高値を更新しており、今後さらに高騰するだろう。
ロシアは、日本を非友好国リストに載せている。日本だけでなく多くの“非友好国”の航空会社にとっても、ロシア上空を飛ぶ許可が下りず、南(中央アジア)か北(アラスカやアイスランド)へ迂回しなければならない事態になっている。燃料が余計にかかるうえ、所有時間も数時間増えてしまい、機材のやりくりに支障が生じている。コロナ禍とウクライナ危機のダブルパンチの減便で、搭乗者も減り、航空貨物運送費も高騰している。
このように、ウクライナ危機はさまざまな産業や個人の日常生活にじわじわと影響が出始めている。当面は、数カ月分の在庫があるにせよ、そしてロシアやウクライナ以外から入手可能なルートがあるにせよ、先行き供給不安から値上げが相次いでいる。今後、ウクライナでの戦争が長引けば、かつてのオイルショックのような世界規模のパニックが発生するだろう。世界的な資源の奪い合いと急激な円安で入手難や値上げが相次げば、多くの業種で操業中止や最終加工製品の大幅値上げなどの事態が発生する可能性がある。多くの楽観的な予測は、ウクライナ危機が短期に終結することを前提にしていたが、この戦争は長期化するとの予想が出始めている。戦争が長引かないことを祈るばかりだ。質問2の回答に記すように、ロシアに依存しないサプライチェーンの構築や国産化を進めるべきだろう。
1)服部、「ウクライナの半導体製造用ネオンガス製造メーカー大手2社が操業を停止、海外報道」、マイナビニュース TECH+、2022年3月15日