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死傷事故まで引き起こした三菱のハブ破断による脱輪事故。それは、リコール回避を優先するあまりの不十分な設計検証が引き起こしたものだった。設計ミスはなぜ10年余りも放置されたのか、ハブのどこに問題があったのか。独自に入手した内部技術資料から設計ミスの原因を明らかにする。

 「ハブの摩耗」は、ユーザーに責任を押し付け、リコールを避けるための辻褄(つじつま)合わせだった。三菱ふそうトラック・バス(2003年1月に三菱自動車から分社、本社東京)の大型車でフロントハブが破断し、前輪が脱落する事故は、同社が原因をある程度認識していたにもかかわらず、リコールを避けるためにハブの改善を怠った結果であることが、本誌が入手した内部技術資料によって明らかになった。

 確認されている中で最初の事故は、1992年6月に東京で冷凍車から前輪が脱落したというもの。その後も同社の大型車では事故が相次ぎ、2002年1月には横浜市を走行中のトラクターから脱落したタイヤが近くを歩いていた母子3人を直撃し、母親が死亡するという事故が起こった。

 実は、これ以前より設計上の不具合が疑われていたものの、三菱自動車(当時)は「過積載や整備不良が原因で多発性はない」としてあくまでユーザー側に責任があるとしていた。

 しかし、横浜の死傷事故をきっかけに、設計に問題があるのではないかという疑念が再浮上。同社はあくまで「整備不良」と主張したが、2003年10月に神奈川県警察が再捜査するに至り、2004年3月には一転して「設計上の問題」であることを認めて約11万2000台をリコールした()。

表●タイヤ脱落事故の経緯
1993年に製造を始めたD型ハブに事故が集中。2002年には横浜で事故原因見直しのきっかけとなる死傷事故が発生した。しかし、三菱自動車は「整備不良」との姿勢を固持し、結局リコールまでに2年以上を要した。
表●タイヤ脱落事故の経緯
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