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 大阪万博で地域冷房を成功させた尾島俊雄・早稲田大学名誉教授は、地域冷暖房という先任者がいない分野で多くのプロジェクトを手掛けた。大学では都市環境という新しい専攻を設立。しかし1975年の沖縄海洋博で、従来型の都市開発の在り方に限界を感じる出来事に直面した。(全3回のうちの第3回)

 1974年に早稲田大学理工学部の教授になり、私は大学院で都市環境を専修するコースを日本で初めてつくりました。それまで設備や環境計画と言えば単体の建築を対象としていましたが、群としての建築で環境を考える必要性を感じたのです。

 この時期は国内外で様々なプロジェクトに参画しました。例えば74年5月にはオーストラリア西部のピルバラに赴き、砂漠の大地にニュータウンを建設する計画に携わっています。このときは、チャーターしたセスナ機で地域の上空を飛び、水源を確認するなどしてインフラ計画をまとめました。

1974年5月、オーストラリアのピルバラ計画に参加した尾島俊雄氏。早稲田大学教授になり、都市環境工学専修のコースを新設したころ(写真:尾島 俊雄)
1974年5月、オーストラリアのピルバラ計画に参加した尾島俊雄氏。早稲田大学教授になり、都市環境工学専修のコースを新設したころ(写真:尾島 俊雄)
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 先任者がいなかったため、実務を含めて私の仕事は広がっていきました。こうして迎えた1975年、沖縄海洋博(沖縄国際海洋博覧会)で私はつまずきます。