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 創業者の孫として安井建築設計事務所を率いる佐野吉彦社長は、竹中工務店で社会人としての第一歩を踏み出した。多くの関係者が関与する複合プロジェクトに携わり、自然な合意形成がどのようにして生まれるかを学んだ。そうした設計の面白さを知った矢先、父・佐野正一氏に呼び戻される。(全3回のうちの第1回)

佐野吉彦氏。父の佐野正一氏が国鉄に勤めていた時代に神奈川県で生まれ、その後、兵庫県西宮市で育った(写真:鈴木 愛子)
佐野吉彦氏。父の佐野正一氏が国鉄に勤めていた時代に神奈川県で生まれ、その後、兵庫県西宮市で育った(写真:鈴木 愛子)
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 母方の祖父が安井武雄(安井建築設計事務所の創業者)、父が佐野正一(同事務所の元社長)という家庭で育ちました。

 父の仕事姿で覚えているのは、自宅で伊丹空港のスケッチを描いていたことくらいでしょうか。羽田空港の次のステージとなる近代的空港の設計を目指した計画で、リビングの大きな机に資料の山をうず高く積んで手を動かしていました。父のスケッチは、材料の割り付けなどリアルなもので、情熱を感じましたね。

 父は、易しくかみ砕いて説明するタイプではありません。私自身、建築設計の仕事を理解していたというわけでもなく、高校時代はむしろ地理や文化人類学に興味を持っていました。自分の手でものの全体像を把握し、多様性の在り方をつかみ取る作業がものづくりよりも大切なのではないか。そんなことを大真面目に考えていたのです。

 それでも少しずつ建築への興味は深まり、東京理科大学の建築学科に進みました。大学院では、真鍋恒博先生の研究室で構法計画学を学びました。ソフトとハード、現代技術と伝統技術といった分け隔てをせず研究の対象に据え、すべてにまたがる建築の世界に位置付けていく。そうした方法は自分に合っていると思いました。

 1981年に東京理科大学大学院を修了した佐野吉彦氏は、竹中工務店に入社。5年間勤めた。1年間の研修後は大阪の設計部に配属され、シティホテルの駐車場棟や、小規模オフィスビル、複合商業ビルなど大小さまざまなプロジェクトを手掛けた。

 建築界の景気があまり良くない時期に入社したのですが、その分大きな仕事にじっくり関わることができました。そのため若い時期に裏動線の階段やトイレからプレキャストコンクリート版のディテールまで、詳細図を多く描く機会を得たのは、良い経験だったと思います。

 この時期に印象深かったのは、ある複合商業施設の設計です。ホテルや店舗などで構成された複雑なプログラムで、クライアントの担当者も多数の部署にわたっていました。私は意匠、構造、設備で10人弱という設計チームの一番若手でした。

 クライアントは石橋をたたいて渡るタイプで、打ち合わせをしていてもなかなか話が決まりません。私は下っ端の立場で打ち合わせに参加していましたが、「進展しない会話のなかから、いったいどのように設計を組み上げていくのだろう」と不思議でした。

 先輩の担当者は、本意ではない図面を延々と描き続けているように見えました。でも、そうした作業を経て、やがて自然な形の合意形成へとつながっていったのです。地道な作業を積み重ねた先に、本当に自分がしたいことを提案する機会が生まれるのだなと感じました。