東日本大震災から10年がたちました。地震、津波、原発事故の複合災害となった東日本大震災は、建築・都市がいつ襲われるかもしれない無数のリスクに取り囲まれている現実を突き付けました。日経アーキテクチュア2021年3月11日号の特集「検証・東日本大震災10年」では、震災後の10年間における建築界の取り組みを検証。巨大災害への備えはどこまで進んだのか、技術・制度編と復興・街づくり編にパートを分けて読み解きました。
10年前の11年3月11日、日経アーキテクチュアの記者だった私は東京・駒場の東京大学生産技術研究所にいました。土木学会などが主催するニュージーランド・クライストチャーチ地震の調査報告会の取材をしていたのです。震災発生時、ホール天井から吊り下がった照明やスクリーンが大きく揺れるのを見ながら、体が固まってしまったのを覚えています。会場の誰かが叫んだ「危ない!」との声ではっと我に返り、その場から避難しました。土木技術者や研究者が多く集まっていた会場は騒然となり、大きな余震が発生するなか、報告会は途中で打ち切られました。
地震発生2日後の3月13日、日経BPの建設系メディア合同取材班は複数のルートに分かれ、東北などの被災地に向かいました。私は木村駿記者(現、副編集長)とチームを組んで、空路で福島空港に飛び、国道4号を北上するルートで仙台に入りました。層崩壊して倒壊寸前の大学校舎、土砂崩れで寸断された道路、ガソリンスタンドから延びる長い車列、停電で真っ暗闇となった街……。翌日訪れた仙台港周辺では、津波で押し流されたおびただしい数の車が積み重なっているのを目の当たりにしました。こうした光景は鮮明な記憶として焼き付いています。
震災当時、多く流布した語句の1つが「想定外」という言葉です。地震発生10日後の3月23日、土木学会と地盤工学会、日本都市計画学会は共同緊急声明を出しました。土木学会の阪田憲次会長(当時)は会見で、「今回の震災は未曽有であり、想定外であると言われる。我々が想定外という言葉を使うとき、専門家としての言い訳や弁解であってはならない」と強調しました。震災の記憶が次第に風化しつつあるなか、私たちは今一度、この言葉を肝に銘じ、想像力を働かせて災害に強い建築・都市づくりに努めていく必要があるでしょう。
この10年間を振り返ると、津波対策や天井の耐震化、超高層ビルの長周期地震動対策、市街地液状化対策など、技術面や制度面では一定の進展がありました。しかし、東日本大震災以降の10年間で熊本地震をはじめ、大阪府北部地震、北海道胆振東部地震などの大地震が起こり、過去の震災と同じような建物被害が繰り返されています。21年2月13日には最大震度6強の福島県沖地震が発生。外壁や天井など非構造部材の被害が多発しました(被害の詳細なリポートは、ニュースクローズアップ「現地報告 福島沖地震」をご覧ください)。