皇居に程近い、東京・千代田の閑静な住宅街の一角。周囲の建物とは明らかに異なる、スパニッシュ様式の家が立っている。昭和初期に建てられた邸宅「kudan house」(運営はNI-WA)だ。
しゃれた屋敷の敷地には、森のような庭園がある。そこに建築家の石上純也氏が、古くからそこにあるような建築物をつくった。真っ黒な焼きスギの屋根を架けたパビリオン「木陰雲(こかげぐも)」だ。地上から屋根までの高さは、約3.5mある。
石上氏は「歴史ある風景に溶け込むよう、新しいけれど、もともとそこにあったかのような建築がつくれないかと考えた」。狙いは成功したといえそうだ。
真っ黒に炭化した焼きスギの屋根と柱でできた空間は、まるで廃虚のようだ。新築のパビリオンとは思えない。「初めから古さを含み持つ建築」と、石上氏は表現する。昭和から令和まで、90年以上の時間を一気に駆け抜けたようなパビリオンのたたずまいに、誰もが驚く。
では、趣があるkudan houseの入り口から庭園に続く石畳の小道に沿って、パビリオンを写真で見ていこう。
焼きスギの屋根は、庭園の空を覆い隠している。ただし、大小様々な穴から光が差し込み、庭園の樹木を照らす。庭園に屋根を架けたのは夏の日差しを遮るためだが、目的はそれだけではない。「邸宅ができた当時はなかった周辺の高層ビルの姿を屋根で隠し、昔の庭園の景観を取り戻そうとした」(石上氏)
黒い屋根と柱は庭園に影を落とし、老木や森の暗がりと一体になって、古い庭園に溶け込んでいく。庭園に差し込まれた新築のパビリオンは最初から黒焦げで、屋根には荒々しい穴が開き、所々が朽ちているような古さを醸し出している。見学者はそこで、長い時間の流れを体験する。
パビリオンの制作では、門脇木材、山大、大光電機、サンゲツが素材協力している。
石上氏らしいパビリオンを見ると、2021年秋に開業予定であるレストランのオープンが待ち遠しくなる。山口県宇部市で建設中のフレンチレストラン「maison owl(メゾンアウル)」だ。完成前から「洞窟レストラン」の名で知られ始めている。オーナーシェフは宇部市出身の平田基憲氏である。
石上氏は13年からレストランの企画・設計に取り組んできたが、プランがなかなか決まらず、設計・施工にも時間がかかり、洞窟レストランはオープン時期が何度も延期されてきた。だがついに開業する見通しだ。
洞窟レストランこそ、石上氏が掲げる「最初から古さを持つ建築」がテーマの施設である。思案の末に行き着いたのは、地面に巨大な穴を掘り、自然と人工の中間という意味で古さを含む土の地層のような躯体(くたい)をつくるというものだった。
パビリオンの展示期間中、kudan houseでは木陰雲を眺めながらディナーを楽しめる夏季限定レストラン「maison owl PROLOGUE(メゾンアウル・プロローグ)」をオープンする。顧客は1日3組限定で、事前予約制になる。コース料理の料金(税込み)は、1人2万4000円。プロローグが始まったことで、洞窟レストランの21年秋開業は現実味を帯びてきた。