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 ソニーとソニー企業(東京・中央)は、東京・銀座5丁目の数寄屋橋交差点前で展開してきた「Ginza Sony Park(銀座ソニーパーク)」を2021年9月30日に“一時閉園”。同敷地における新築フェーズに移行させた。10月から既存部の解体工事に入っている。

外堀通り越しに「Ginza Sony Park」の敷地を見る。フェーズ1の施設の閉園後、即座に既存部の解体に着手。「ソニー通り」を挟んで隣地(写真正面)には「銀座メゾンエルメス」が立つ(写真:日経クロステック)
外堀通り越しに「Ginza Sony Park」の敷地を見る。フェーズ1の施設の閉園後、即座に既存部の解体に着手。「ソニー通り」を挟んで隣地(写真正面)には「銀座メゾンエルメス」が立つ(写真:日経クロステック)
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フェーズ1の施設の解体に入った「Ginza Sony Park」の敷地を見る(写真:日経クロステック)
フェーズ1の施設の解体に入った「Ginza Sony Park」の敷地を見る(写真:日経クロステック)
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 本来は、1966年に開業した「銀座 ソニービル」の建て替えプロジェクトとしてスタートしたものだ。しかし、都心一等地ながら建設を急がず、旧ビル地上部を解体後、地階と合わせて跡地を「公園」的な空間として設定。18年8月から約3年間、店舗営業やイベント運営を継続してきた。

閉園前のGinza Sony Parkの様子。旧ビル地上部を解体した後のフェーズ1では、「フラットな実験的空間」として開園。地下5階・地上1階建て、延べ面積3807m<sup>2</sup>の施設としていた(写真:日経クロステック)
閉園前のGinza Sony Parkの様子。旧ビル地上部を解体した後のフェーズ1では、「フラットな実験的空間」として開園。地下5階・地上1階建て、延べ面積3807m2の施設としていた(写真:日経クロステック)
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閉園前のGinza Sony Parkから数寄屋橋交差点方向を見たところ(写真:日経クロステック)
閉園前のGinza Sony Parkから数寄屋橋交差点方向を見たところ(写真:日経クロステック)
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閉園前のGinza Sony Parkの様子。地下4層を合わせて「垂直立体公園」と称していた(写真:ソニー企業)
閉園前のGinza Sony Parkの様子。地下4層を合わせて「垂直立体公園」と称していた(写真:ソニー企業)
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 フェーズ1とされる既存Parkの閉園に際し、ソニー企業の永野大輔代表取締役社長が現時点までの活動を総括。ソニーグループにおけるブランディング効果や、今後の展望を語った。新ビルの詳細は未公表だが、「銀座ルール」(地区計画の条例)で許される高さ56mの3分の2に満たない34m(標識情報では33.9m)、地下4階・地上5階建ての施設になると明らかにした。

新ビルの規模を説明するソニー企業の永野大輔代表取締役社長。設置された標識情報によると、鉄骨鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造、地下4階・地上5階建て、高さ33.9m、延べ面積4323m<sup>2</sup>の建物となる。主用途は物販店舗、飲食店舗、展示場(写真:日経クロステック)
新ビルの規模を説明するソニー企業の永野大輔代表取締役社長。設置された標識情報によると、鉄骨鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造、地下4階・地上5階建て、高さ33.9m、延べ面積4323m2の建物となる。主用途は物販店舗、飲食店舗、展示場(写真:日経クロステック)
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「変わり続ける公園」としてのGinza Sony Park発展イメージ。これまでのフェーズ1では、地上1階のParkと地下4層の「Lower Park(ローワーパーク)」を展開してきた。フェーズ2で地上部の「Upper Park(アッパーパーク)」を建設し、最終形を生み出す(資料:ソニー企業)
「変わり続ける公園」としてのGinza Sony Park発展イメージ。これまでのフェーズ1では、地上1階のParkと地下4層の「Lower Park(ローワーパーク)」を展開してきた。フェーズ2で地上部の「Upper Park(アッパーパーク)」を建設し、最終形を生み出す(資料:ソニー企業)
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 永野社長が率いるGinza Sony Park Project(チーム名称)のメンバーには、建築史家の倉方俊輔・大阪市立大学准教授や建築家の荒木信雄氏(The Archetype主宰)の他、アートキュレーター、編集者などが加わっている。新ビルの基本設計は同Projectが手掛ける形を取り、実施設計・施工は竹中工務店が担当している。

 敷地面積は711.66m2、建築面積は573.79m2、延べ面積は4323m2。芦原義信建築設計研究所(後に芦原建築設計研究所と改称)の手掛けた旧ビルは延べ面積8800m2余りだったので、半分程度の規模への建て替えとなる。

 新ビルにも公園的な性格を持たせ、Ginza Sony Parkという名称をそのまま受け継がせる。22年6月の着工、24年5月の竣工を見込む。

現在の数寄屋橋交差点の様子(写真:日経クロステック)
現在の数寄屋橋交差点の様子(写真:日経クロステック)
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閉館直前の17年3月の「銀座 ソニービル」。芦原義信建築設計研究所が設計を手掛け、1966年4月に開業。解体時点で築50年を迎えていた(写真:日経クロステック)
閉館直前の17年3月の「銀座 ソニービル」。芦原義信建築設計研究所が設計を手掛け、1966年4月に開業。解体時点で築50年を迎えていた(写真:日経クロステック)
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かつての銀座 ソニービルは、小規模広場「ソニースクエア」を前面に持っていた他、「花びら構造」と呼ぶ地上1階から7階まで連続するスキップフロア構成を特徴としていた。街路を引き込み、「縦の"銀ぶら"」ができるという触れ込みのビルだった。17年3月開催の「It's a Sony展」より(写真:日経クロステック)
かつての銀座 ソニービルは、小規模広場「ソニースクエア」を前面に持っていた他、「花びら構造」と呼ぶ地上1階から7階まで連続するスキップフロア構成を特徴としていた。街路を引き込み、「縦の"銀ぶら"」ができるという触れ込みのビルだった。17年3月開催の「It's a Sony展」より(写真:日経クロステック)
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建て替え期間を引き延ばし、「工夫して壊す」

 旧ビルの跡地活用プロジェクトは13年にスタートし、ソニー創業70周年、ソニービル開業50周年に当たる16年に概略を発表している。

 当時の都心部では、東京五輪・パラリンピック開催予定の20年に向け、不動産開発を急ぐ動きが目立った。土地の記憶をそぎ取るような急ぎ方に対する「違和感」が、今回プロジェクトの動機の1つになっている。また、ソニーの企業理念である「ユニークであること」を、跡地活用プロジェクトにも反映させようとした。

 東京で急速に進むビル更新に追随しても面白みがない。いったん「建てない」という姿勢で立ち止まってみる、という考え方だ。「減築によって生まれたフラットなParkは、旧ビル解体の途中と位置付けた。建て替え期間を引き延ばし、そのプロセスに『工夫して壊す』という考え方を持ち込んだ」(永野社長)

ソニーの企業理念である「ユニークであること」を説明するソニー企業の永野社長。「一般にいわれるユニークさとは異なるかもしれない。ソニー流に分解すると3つの要件がある」と語る(写真:日経クロステック)
ソニーの企業理念である「ユニークであること」を説明するソニー企業の永野社長。「一般にいわれるユニークさとは異なるかもしれない。ソニー流に分解すると3つの要件がある」と語る(写真:日経クロステック)
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Ginza Sony Parkの建て替えプロジェクトとしてのユニークさを説明するソニー企業の永野社長。3番目の「建替え期間中も新ビルも公園化」によって公園的な状態を引き延ばす(写真:日経クロステック)
Ginza Sony Parkの建て替えプロジェクトとしてのユニークさを説明するソニー企業の永野社長。3番目の「建替え期間中も新ビルも公園化」によって公園的な状態を引き延ばす(写真:日経クロステック)
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Ginza Sony Park Projectの歩みを説明するソニー企業の永野社長。3年の間に15件の実験的なイベントを開催した(「It's a Sony展」を含めると16件)。「ソニーやソニーの製品をテーマとするのではショールームと変わらなくなってしまう。だから1年目は徹底的に『公園』というコンセプトにこだわった。それでも、来園者アンケートの結果では『ソニーらしい』という回答が1位だった。以後の調査でも、存在として認知されてきたという手応えを持っている」(永野社長)(写真:日経クロステック)
Ginza Sony Park Projectの歩みを説明するソニー企業の永野社長。3年の間に15件の実験的なイベントを開催した(「It's a Sony展」を含めると16件)。「ソニーやソニーの製品をテーマとするのではショールームと変わらなくなってしまう。だから1年目は徹底的に『公園』というコンセプトにこだわった。それでも、来園者アンケートの結果では『ソニーらしい』という回答が1位だった。以後の調査でも、存在として認知されてきたという手応えを持っている」(永野社長)(写真:日経クロステック)
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 旧ビル解体前の16年3月から17年3月までの1年間には、アパレルなどを手掛けるジュンが、地下3階と地下4階を期間限定のコンセプトストア「THE PARK・ING GINZA(ザ・パーキング銀座)」として利用した。Ginza Sony Park Projectを予告する意味合いを持つ企画で、前出の荒木氏が、2フロアの改修設計を担当した。街に開かれたスペースとして試験的に運用。その試みも、後のフェーズに引き継がれている。

旧ビル解体前に地階の一部リノベーションを実施。期間限定のコンセプトストア「THE PARK・ING GINZA(ザ・パーキング銀座)」として営業した(資料:日経アーキテクチュア、掲載写真:渡邊 和俊)
旧ビル解体前に地階の一部リノベーションを実施。期間限定のコンセプトストア「THE PARK・ING GINZA(ザ・パーキング銀座)」として営業した(資料:日経アーキテクチュア、掲載写真:渡邊 和俊)
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