「変わり続ける公園」としてのGinza Sony Park発展イメージ。これまでのフェーズ1では、地上1階のParkと地下4層の「Lower Park(ローワーパーク)」を展開してきた。フェーズ2で地上部の「Upper Park(アッパーパーク)」を建設し、最終形を生み出す(資料:ソニー企業)
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永野社長が率いるGinza Sony Park Project(チーム名称)のメンバーには、建築史家の倉方俊輔・大阪市立大学准教授や建築家の荒木信雄氏(The Archetype主宰)の他、アートキュレーター、編集者などが加わっている。新ビルの基本設計は同Projectが手掛ける形を取り、実施設計・施工は竹中工務店が担当している。
かつての銀座 ソニービルは、小規模広場「ソニースクエア」を前面に持っていた他、「花びら構造」と呼ぶ地上1階から7階まで連続するスキップフロア構成を特徴としていた。街路を引き込み、「縦の"銀ぶら"」ができるという触れ込みのビルだった。17年3月開催の「It's a Sony展」より(写真:日経クロステック)
Ginza Sony Parkの建て替えプロジェクトとしてのユニークさを説明するソニー企業の永野社長。3番目の「建替え期間中も新ビルも公園化」によって公園的な状態を引き延ばす(写真:日経クロステック)
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Ginza Sony Park Projectの歩みを説明するソニー企業の永野社長。3年の間に15件の実験的なイベントを開催した(「It's a Sony展」を含めると16件)。「ソニーやソニーの製品をテーマとするのではショールームと変わらなくなってしまう。だから1年目は徹底的に『公園』というコンセプトにこだわった。それでも、来園者アンケートの結果では『ソニーらしい』という回答が1位だった。以後の調査でも、存在として認知されてきたという手応えを持っている」(永野社長)(写真:日経クロステック)
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旧ビル解体前の16年3月から17年3月までの1年間には、アパレルなどを手掛けるジュンが、地下3階と地下4階を期間限定のコンセプトストア「THE PARK・ING GINZA(ザ・パーキング銀座)」として利用した。Ginza Sony Park Projectを予告する意味合いを持つ企画で、前出の荒木氏が、2フロアの改修設計を担当した。街に開かれたスペースとして試験的に運用。その試みも、後のフェーズに引き継がれている。