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 東日本大震災から10年がたとうとする2021年2月13日、福島県沖で大きな地震が発生しました。福島県内や宮城県内の一部で最大震度6強を記録する地震でした。東日本大震災をもたらした地震の余震です。10年を経てもこれだけの揺れをもたらすという事実は、脅威としか言いようがありません。

 日経コンストラクション21年3月8日号では、この地震による被害などを速報した緊急報告「福島県沖地震、長周期で新幹線の高架橋損傷か」をまとめています。あまり細かく報じられていない土木構造物の被害を中心にリポートしています。

日経コンストラクション2021年3月8日号の緊急報告「福島県沖地震、長周期で新幹線の高架橋損傷か」(資料:日経コンストラクション)
日経コンストラクション2021年3月8日号の緊急報告「福島県沖地震、長周期で新幹線の高架橋損傷か」(資料:日経コンストラクション)
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 さて、10年前の3月11日、東日本の広い地域に壊滅的な被害をもたらした地震の発生時に、私は横浜市内で取材をしていました。取材で訪れた建物のガラス製の間仕切りと扉が、長い時間にわたって揺さぶられ、大きな音を出してきしんでいた様子は、今も鮮明に覚えています。

 当時は日経アーキテクチュアという建築雑誌の編集部に所属していました。そして、地震発生の翌日から震災報道担当のデスクとして毎日、目を覆いたくなる情報に直面することとなります。地震直後から被災した各地へ取材に出た記者から送られてくる情報や、自ら取材した千葉や東京の液状化被害など、これまで見たことがない広さと規模での都市や集落の機能喪失は、筆舌に尽くし難いものでした。

 福島第1原子力発電所での事故から1カ月ほど後には、福島県内の被災地を取材しました。復旧に向けた片付けが始まっていた岩手県内や宮城県内など他の地域とは全く違い、そこには時が止まったままの津波被災地や人っ子ひとり見かけない異様な街の姿がありました。2度と目にしたくない光景がまぶたに焼き付いています。

 その後、私は日経コンストラクションをはじめとする建設系の媒体をいくつか異動してきましたが、それぞれの媒体の視点から東日本大震災のその後を伝えてきました。日経コンストラクション3月8日号の特集「東日本大震災10年、復興はまだ終わらない」では、震災から10年の歩みを総括するコンテンツを用意しています。

日経コンストラクション2021年3月8日号の特集「東日本大震災10年、復興はまだ終わらない」(資料:日経コンストラクション)
日経コンストラクション2021年3月8日号の特集「東日本大震災10年、復興はまだ終わらない」(資料:日経コンストラクション)
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 震災から10年という年月を振り返ると、ハード面での復興はかなり進んだと感じられます。それでも、本当の意味での「復興」と現状の姿との間には、大きな乖離(かいり)があるような気がしています。道路や建物・施設の整備は相当進んだとはいえ、被災した街の再生が不十分な地域は少なくないと感じられるからです。