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元はエンジンブロックも造っていた

 実はわれわれの総合研究所には、1980年代から90年代はじめにかけての時期には加工技能の熟練者が多数在籍していました。「ル・マン24時間レース」でポルシェやベンツに勝とうと、V8エンジンとかV12エンジンをガンガン開発していた部署なんです。そうした業務は現在、NISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)に担当が移管されましたが、当時ここにはレース用エンジンを造れる人と設備がありました。

 総勢180人もの陣容でした。加工に関しても旋盤、フライス、研磨、板金とそれぞれの領域では職人クラスというか、今で言うと現代の名工と呼ばれるような人たちが何人もいて、チームとして成果を出していた時代です。エンジンブロックなども当たり前に造っていました。

 しかし今の研究所は、仕事の流れがそのころと全く変わってしまっています。専門の担当者が自分の担当分野を深く追求するのではなく、企画の最初からお客様へ手渡すぐらいのところまで幅広く関わるようになっています。そこで専門性に強みを持つベテランには、得意分野で素晴らしい技術を提供してもらいつつ、若手技術者がその間をつなぎ、柔軟性を持って問題解決に当たる、という役割分担をするようになっています。

 新型カキノタネの金型開発はゼロから一緒に考えるプロジェクトで、課題の解決にアイデアや柔軟性が求められ、若手技術者を育成する大変によい機会になりました。造るものがあらかじめ決まっていてどう実現するかというプロジェクトではなく、柿の種を造るためにどういう形にしたらよいかから問題を解決していったのはとてもよかったと思っています。

モチベーションが大きく向上

 人材育成の取り組みとしては正直、予想以上の効果でした。半年くらいのプロジェクトでしたが、参加した若手技術者たちがものすごく成長しました。機械加工の担当者は、自動車部品で見ないようなCAD/CAMと加工に取り組んでやり遂げた結果、自信を持ってさまざまな課題に取り組むようになりました。少し関わっただけのメンバーもそれぞれすごく元気になってモチベーションが向上しています。

 育成プロジェクトとして大変良い題材だった、と思います。現実に商品になりましたし、世間に出たら思いのほか受けてしまった。日産系のディーラーからもたくさん欲しいと言われているようです。育成が目的でしたが、大きな達成感を得る結果になったと思います。

金型加工を担当した若手技術者(中央)、左は2人の上司でプロジェクトをバックアップした同課チーフの中村章一氏(写真:志田彩香)
金型加工を担当した若手技術者(中央)、左は2人の上司でプロジェクトをバックアップした同課チーフの中村章一氏(写真:志田彩香)
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松永智昭(まつなが・ともあき)
日産自動車 総合研究所実験試作部試作技術課リーダー
長崎県佐世保市出身、18歳で入社し神奈川県厚木市の日産テクニカルセンターで自動車板金技能五輪選手として活動、2005年第43回技能五輪全国大会で自動車板金部門の金賞を受賞。鉄板一枚からハンマーを使い、製品を叩き出しにて造型する板金加工の技能を磨く。現在は、総合研究所の試作課にて技能五輪時代に培われた技能と精神でさまざまな研究課題に取り組んでいる。