2021年6月、9年間パナソニックを代表取締役社長として率いてきた、津賀一宏氏が社長を退任し、取締役会長に就く。この9年間、津賀氏は電機/エレクトロニクス業界をどのように見つめ、巨艦パナソニックのかじ取りをしてきたのか、胸の内を聞いた。(聞き手は中道 理=日経クロステック/日経エレクトロニクス、加藤雅浩=日経クロステック)
2012年6月に社長に就任してから、ここまでの9年間、電機・エレクトロニクス業界をどのように見てこられましたか。
2012年の社長就任前の1年間、テレビ事業の改革に当時AVCネットワークス社の社長として取り組みました。これが私にとっては象徴的な出来事でした。そのときのパナソニックのグローバルな事業の中で最大のものがテレビ事業だったんです。もちろん当時はDVDの事業部やオーディオの事業部など、関連するもう少し広い意味ではAVCの事業がありましたが、中核はテレビでした。当時はデジタル化、薄型化という、今では当たり前のことが本格化し、日本でも地上波のデジタル放送が開始され、アナログ放送が終わるといった頃でした。そういった中でデジタルテレビ、特に我々が注力してきたプラズマテレビからの撤退を決断せざるをえなかったというのが、私たちにとっては非常にインパクトがあり、私の社長の就任のときのイメージは「テレビはもはや我々のコア事業ではない」というものでした。
いわゆるAVCやテレビを“家電”というならば、この家電すら白物という領域に向けて大きくかじを切らなければならない。これは我々が望んだというよりも、時代の流れとして、それを余儀なくされました。我々は、顧客に対してお役立ちを提供するということで、自動車であったり、航空産業であったりと、BtoB(Business to Business)も含めて、そこに基盤を提供する会社になるという方針を定めました。そして、2013年1月の「2013 International CES」では「もはやパナソニックはテレビの会社ではない」ということを世界に向けて発信しました。
私がエンジニアのときには、デジタル家電という分野で、世界を変える技術を生み出し、世の中をリードするグローバルプレーヤーとしてナンバーワンになることを目指していました。そのためにR&D(研究開発)を行い、その結果を事業に移すということをやってきたわけです。
そうした中で、2000年ごろから分かっていたのは、AVの世界も含めた、様々な世界がコンピューターによって置き換えられるということです。それがいつなのか。このことは絶えず頭の中にありました。家電の中にもマイコンとして入っているわけでコンピューターと言えなくはないのですが、私としては当時、ディスプレーや入力装置など人とのインタラクションを伴うようなデバイスが付いているもの、人とコミュニケーションができるものをコンピューターと捉えていました。このコンピューターが実際にAVの機能を取り込んでしまう、カメラの機能を取り込んでしまう、そういう時代がいつ来るのかということでした。
これを強烈に感じたのが、1996年にパソコン上でDVDビデオを再生するということに取り組んだ経験です。DVDの規格化に取り組んだ後、1年間、シリコンバレーのベンチャー企業と一緒に仕事をしたんです。米Intel(インテル)のCPUが搭載されたパソコンの上で動作するDVDのビデオ再生ソフトを開発するというのが目的でした。当時のパソコンでは1秒間に20コマぐらいしか再生できない。DVDは毎秒30コマは再生できないといけないので、(それに比べると)がくがくして見えてしまうのですが、とりあえず再生はできる。これはスムーズではないからDVDとしては使えない、という声もありましたが、CPUの中に動画再生に最適化された回路が入ったりして、すぐに毎秒30コマ再生できるようになった。
私にとってこのことは、非常に印象的でした。AV機器はすべてコンピューターが主体になる。そういう仮説の下にずっとやってきた。ただ当時のコンピューターはディスプレーまで含めると、とにかく図体が大きい。でも、それが例えばもっと小型化して、ディスプレーの解像度が上がり、電池駆動で全部動くようになって、いろんな機能が取り込まれていくのではないかと。まさに今のスマートフォンのようなものです。カメラの性能も、半導体の性能もどんどん向上していって、AVCなど我々の得意とする分野がコンピューターに取り込まれていったんです。
今その流れがクルマにまで及んでいる。5年前、自動車関連の方に「クルマがコンピューターになりますよ」と言ったら、「津賀さん、クルマには車輪、車体もあるのだから、コンピューターになるわけはない」って言われました。「でも、コンピューターに車輪を付けたらクルマになるではないですか」。こういう会話をしたんです。ですから、入出力はそれぞれのアプリケーション(応用先)に応じて形が変わりますが、コアはどんどんコンピューター化し、それがソフトウエアでネットにつながり、そしてサービスオリエンテッドなビジネスモデルに代わっていくのは必然の流れなんです。