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 日本の宇宙開発に一抹の不安が漂っている。現在の国の主力ロケット「H-IIA」が打ち上げ成功率98%に達する一方、直近では次期主力ロケット「H3」初号機や、固体燃料ロケット「イプシロン」6号機が相次いで打ち上げに失敗した。我が国の宇宙開発を取り巻く現状をどう見ればいいのか。関連取材を30年以上続ける科学技術ジャーナリストの松浦晋也氏が、四半世紀以上にわたる動きを振り返りつつ日本の宇宙開発体制が抱える課題を語る。(聞き手は斉藤壮司、高市清治、河野 舜=日経クロステック/日経ものづくり)

科学技術ジャーナリストの松浦晋也氏
科学技術ジャーナリストの松浦晋也氏
1980年代から宇宙開発分野の取材を続けている。(写真:日経クロステック)
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日本の宇宙開発に元気がないように見えます。

 1980年代から宇宙開発の取材を続けている。振り返ってみると、かつての日本の宇宙開発は今よりも活動的だったと思う。やや昔話になるが、2003年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足する以前、日本のロケット開発は、液体燃料ロケットを開発する「宇宙開発事業団(NASDA)」と、固体燃料ロケットを開発する「宇宙科学研究所(ISAS)」の、いわば2頭体制だった*1

*1 かつての宇宙開発事業団(NASDA)は旧科学技術庁が所管する組織。宇宙科学研究所(ISAS)は東京大学の宇宙航空研究所を前身とする組織で旧文部省の所管だった。2003年、両組織および航空宇宙技術研究所(NAL)が宇宙航空研究開発機構(JAXA)として統合された。現在、ISASは、JAXA内の研究機関となっている。

 NASDAが開発していた液体燃料ロケットは現在の国産ロケットH-IIA の源流で、主な目的は商用衛星の打ち上げだった。とはいえ、技術の元をたどれば、米国が開発した「Delta(デルタ)」ロケットに行き着く。それに対して、ISASの固体燃料ロケットは比較的小型で、目的は科学衛星の打ち上げ。現在のイプシロンの源流で、1950年代から日本が独自に開発を続けてきた。

 1980年代ごろまではこの2頭体制がうまく機能し、次世代ロケットを開発してはどんどん打ち上げるという、元気な時代だった。それぞれがおよそ5年間隔で新機種をつくり、年1~2回のペースで打ち上げていたほどだ。

 曲がり角の1つは、やはり1990年代のバブル経済の崩壊だろう。宇宙関連予算はなかなか増えず、2020年ごろまで国の関連予算は3500億円前後で横ばいが続いてきた。直近は安全保障や気象衛星などに力を入れるため予算額が伸びているが、長らく技術開発への投資が横ばいだった点は、日本の宇宙開発の現場に影を落としていると思う*2

*2 2021年度は4000億円台、2022年度は5000億円台、2023年は6000億円超とここ数年は予算額が増えている。

予算が横ばいでは技術革新のスピードは落ちる

具体的にはどのような影響があったのでしょうか。

 予算が横ばいなら、ひとまず現状維持で問題なさそうにみえる。ところが、ロケットや人工衛星は年を追うごとに大型化し、システムも複雑になっていく。すると、同じ予算額が続くのであれば、新機種のロケットを打ち上げる機会は減っていくと考えるのが自然だ。新技術に挑戦する回数が減るということは、単純に技術革新のスピードも落ちてしまう。

 この状況は、将来の宇宙開発人材の育成にも影響を与えている。前述のように、かつての日本は5年に1回、新機種のロケットを開発していた。また、ISASは大学院生を受け入れる教育機関としての側面も併せ持っていた。すると、博士課程の学生は修了するまでの5年間に、自分が携わった次世代ロケットの打ち上げを1回は経験することになる。つまり、かつての日本の宇宙開発では、5年周期の人材育成がうまく機能していた。

 ところが、予算が横ばいで増えないとなれば、次世代の大型ロケットや人工衛星を開発する間隔は、どんどん長くなっていく。こうして、従来の人材育成システムは、だんだんと機能しなくなってしまった。今でも、現在のISASと総合研究大学院大学などが協力してその役割を果たしているけれども、前述のような5年周期の好循環が失われたのは痛手だった。