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70年代に排ガス対策の研究に傾倒

 佐吉さん、喜一郎さんの遺志をくむ*2研究所ですので最初から電池は研究テーマの1つでした。正確には2次電池に絞っていたわけではなく「エネルギーの缶詰」といったテーマのようでした。

*2 豊田佐吉氏は1930年10月30日、豊田喜一郎氏は1952年3月27日に亡くなっている。

 なかなか含蓄のある言葉と思ってまして、ガソリンでも缶に詰めたらエネルギーの缶詰だし、ウランも何かの容器に入れたら原子力エネルギーの缶詰になるだろうし、もちろん燃料電池やリチウムイオン2次電池もエネルギーの缶詰の領分に入る。さすがに原子力はやっていませんが、もともとそういう、気宇壮大な考えで設立した研究所なのです。

 喜一郎さんは、戦時中に自動制御の研究もされています。戦時中にオートジャイロの開発を手掛けていたことは知られていますがその中で、動く物体、回転する物体の姿勢を制御する考え方は、喜一郎さんは非常に早い時期から持っていた。私たちは結局事業にはしていないんですが、研究テーマとしては非常に重要な課題と認識していたようです。その延長上には自動運転があるといえるのではないでしょうか。

 当時は機械的な制御でしたし、認知判断の能力も劣っていましたから、人と機械を組み合わせたような、トヨタ用語でいうとニンベンのつく「自働」です。トヨタ自動車の創業者がそういうことを考えていたという点は、ここの研究所にいる人も意外と見逃しているようです。

 さらに、佐吉さんは米国で(タカヂアスターゼやアドレナリンを発見した)高峰譲吉先生にお会いして、酵素、触媒に非常に興味を持ち、研究する必要があると喜一郎さんに話されていて、それが今に伝わっているのではないかと思っております。このように、豊田中研とは本来はエネルギーの缶詰、自動制御、さらに酵素・触媒に関連する研究を中心に、自動車以外の新事業創成を期待されてつくられた研究所でした。