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外部から見えにくい

 排ガス規制のときに排ガス触媒の研究に集中して以降、1970年代から90年代にかけて、外に開かれた研究所というよりは、トヨタグループの中に閉じこもったような印象を持たれやすい状況になっていました。触媒研究の後も、ハイブリッド化にはさまざまなデバイスの研究が必要になる、といったことから、ある部分はデンソーさんと一緒に、ある部分はトヨタさん、ある部分は豊田自動織機さんと、という形で研究を進めざるを得なくなったからです。そのせいもあって、おそらく2000年になったあたりには、豊田中研って聞いたことはあるけどなんの研究をしてるんだっけ? というような状態になったんだと思います。

 それは今のトヨタの方針とは相当違っています。トヨタ自動車現社長の豊田章男さんも100年に1度の大変革期と言っていますし、新しい時代のニーズや要請に応えるためには、トヨタグループの中だけではできないことがたくさんある。そうすると、ある部分は閉じていたとしても、かなりの部分を外に知られた、開かれた研究所でなければ役割を果たせない時代になったのではないのか。

 トヨタグループの中央研究所ではあるのですが、他の企業さんの中央研究所とは違って、トヨタグループの中で閉じる活動をしていれば、ある意味では大変に楽なんです、研究者にとっても、研究所を運営する人にとっても。でも、グループに閉じていては自動車産業が抱えている課題、将来の社会が抱えるだろう課題を解決はできないと、豊田社長は明快に言い切って、変革をトヨタ自動車に求めています。

 それは豊田中研も同じです。自動車で閉じるところの研究はそれなりに成果を上げられたけれども、将来の自動車が社会に開かれたものになったときのニーズに応える研究をあなた方はできるのですかと、刃を突きつけられているように思っております。

 豊田社長は多様性を強く望んでいるのです。2016年に、自動運転がこんなに盛んになるちょっと前のタイミングで米国にToyota Research Institute(TRI)という会社をつくった。ギル・プラット(CEO)さんのところ。ああいう異なる研究所を、しかも日本ではなく米国につくる決定は驚きでした。

 同じトヨタグループの中にあれだけ異なったものをつくったということは、それなりの夢というか実現したいことがあるからでしょう。DNAが2重らせんでできているように、ギルさんのところのらせんと私たちの豊田中研のらせんで、トヨタの基礎的な研究の仕方まで含めてDNAとして形成し、次々とたすきを渡していける仕組みになれるのが1番いいと思っています。