“自動車の次の事業”を目的に設立されたトヨタグループの中央研究所に招かれて20年。米デトロイト郊外の大学などで得た米国流の研究哲学で自動運転や電動化を支える研究所の舵(かじ)取りを担う。深く掘り下げる研究より、新しい技術に身軽に飛びつくべきだと説く。(聞き手は木崎健太郎、中山 力)

豊田中央研究所(以下、豊田中研)と言われても多くの人はおそらく、どんな研究をしている研究所なのかをご存じないと思います。私もここに関わる前、米ミシガン大学で研究をしていたころはよく知りませんでした。
豊田佐吉の構想が源流
自動車会社の中央研究所だからクルマ技術の先行研究が主ではないか? といったイメージでしょうか。しかし豊田中研が今から約60年前、1960年に設立された際の目的は「自動車の次に手掛ける事業のための研究」でした。つまりクルマとはあえて関係ない領域の研究を志していました。具体的には電池、自動制御、さらに酵素・触媒が主な研究テーマ。もともとはクルマ技術と直接関係しない、むしろ離れた役割を求められた研究所だったのです。
発端はトヨタグループ創始者の豊田佐吉さんです。佐吉さんは豊田自動織機を設立した当時に、これから日本が実現すべきテーマは高性能な電池である、100馬力出せて、小型飛行機に積んで太平洋を渡れるくらい持続する革新的な電池を造る必要があると考えていたそうです。息子でトヨタ自動車を創業した豊田喜一郎さんがその実現のための研究所を東京・芝浦に作ったのが、トヨタ自動車(当時トヨタ自動車工業)設立直前の1936年*1。数年後に私たちの前身でもある豊田理化学研究所となります。
時代が下って1960年代のトヨタ自動車は、トラックに加えて乗用車も造れるようになり、輸出の可能性も視野に入ってきて、大変に意気軒高でした。そこで佐吉さん、喜一郎さんの宿願だった、自動車の次の事業、将来の事業の種を考える研究所の設立に動いたのです。